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2017年6月24日土曜日

JAL123

最近暇さえあれば日航123便の事故のことを調べたりyoutubeでボイスレコーダーの音声を聞いたりしている。

あの事故についてはいくつかの謎やいろんな噂がある。

中にはまったく話にならない荒唐無稽なものもある。


あの事故の原因は圧力隔壁の破損と発表されている。

しかしそれを否定する説がある。


なんと、123便に自衛隊の演習で使用する無人標的機とミサイルが衝突して尾翼を壊したというのである。

無人標的機というのは、誘導ミサイルの動作を確認するためのダミーの飛行機である。


この説を知ったのはインターネットのあるサイトでなのだが、そのサイトの主張だけ読むと本当かなと納得してしまいそうになるほど説得力のある内容だ。

でも、私はこれは違うと思っている。

日航機は確かにほとんど操縦不能になるほどの状態になったのだが、

もしミサイルが衝突したりしたら、機体の揺れや衝撃はボイスレコーダーや生存者の証言が伝えている程度では済まなかっただろう。

乗客も、機長ら乗組員も、何が起きたかよくわからなかったのである。


異常が起きた直後、ボイスレコーダーに以下のようなやりとりがある。

(爆発音2回)
まずい
なんか爆発したぞ
ギアみてギア
え?
エンジン?
スコーク77
オレンジエア


最後の「オレンジエア」については、「オールエンジン」「ボディギア」など諸説あるが、私には「オレンジエア」と聞こえる。

そして、無人標的機が衝突したと主張する人は、この「オレンジエア」が無人標的機のことだと言うのである。


ボイスレコーダーは、「オレンジエア」の後で編集されているようだ。

ドアが開くような音がして、「酸素マスクをつけてください」というアナウンスが流れる。

ボイスレコーダーは、コクピットの音声と客室の音声が両方含まれているようだ。


あと、この事故の時には自衛隊機がスクランブル発信していて、123便と交信していたそうだが、その内容は公表されていない。


私は、「オレンジエア」が「無人標的機(あるいはミサイル)がぶつかった」と言っているというのは、かなり無理があると思う。

その前の「ギアみてギア」という発言とかみ合わないからだ。

機体後部になにかが衝突したとして、それが何かをコクピットにいる者がどうやって判断できるのか?

監視カメラでもついていてその映像でも見ないとわからないだろう。


「オレンジエア」についてはテレビで特番が放送されていて、それもyoutubeで見た。

しかし私はその内容にも納得いかなかった。

まず、ボイスレコーダーの音声分析をアメリカでやっていること。

パイロットたちは確かに英語で話しているが、ベタベタのカタカナ英語であり、

英語のネイティブスピーカーの発音としてとらえるのはナンセンスだ。

ガイジンには pull in gear と聞こえたようだが、

元パイロットだかの人は、そんな言葉は使わない、私には body gear と聞こえると言っていた。


そして、最初に音声分析をした大学の先生が、「素直に聞くと”おれんみょうや”と聞こえた」と言っていたのだが、なんでこんなことを言う必要があるのだろうか。

そして、なんでこんな発言をテレビで放送したのだろうか?

ただでさえ不可解なことをさらに混乱させるだけではないか。

なんだよ「おれんみょうや」って。

仮にそうだとしたら、どんな意味なんだよ。



ボイスレコーダーは最初に公開されたものは一部で、15年後くらいにそれ以外の音声がリークされたそうだが、それでも全部は公開されていない。



事故の原因と「オレンジエア」についてはボイスレコーダーからだけでは結論は出せないが、私は公式発表通り圧力隔壁の破損で起きたのではないかと思っている。



もう一つ、123便が最後に墜落するときに自衛隊機が撃墜したという説がある。

それは操縦不能な飛行機が飛行場に着陸しようとして市街地に墜落するような事態を避けるためである。

だが、私はこれもなかったと思う。

ボイスレコーダーの最後の部分を聞けば、撃墜されたのではなく制御しきれずに墜落したのが明らかだからだ。

操縦不能といっても乗務員はなんとか機体をコントロールしてどこかに不時着しようと試みていた。

本当に制御不能で東京の市街地に迷い込みそうになったら撃墜もありうるかもしれないが、

あの場所であの状況ではないだろう。

2017年5月27日土曜日

エレベーターのバカ

10階建てのビルでエレベーターに乗ったとする。

自分が行きたい階は7階なので、「7」のボタンを押す。ボタンが点灯する。

エレベーターには自分を含めて3人乗っていたとする。

7以外に、3、5が点灯していたとする。

3人乗っていて3つの階が点灯しているということは、3人はそれぞれ違う階で降りることがわかる。


3階で一人降りた。

残るは二人である。自分の降りる階はわかっているから、もう一人の降りる階もわかる。

この場合は、私が7階で降り、もう一人は5階で降りる。


5階についてドアが開いた。

このとき、5階で降りる人がすぐに降りず、私が降りるかどうかうかがうようにする人がいる。

けっこういる。

バカじゃないのか?


2017年4月16日日曜日

テレビの役割

テレビを見るのをやめて、何年たっただろうか。3年か4年くらい。

とはいえ、テレビはあちこちにあるので、食事の時とか、ホテルに泊まったときとか、見ることはある。

インターネットでもテレビでこんな番組が放送されて話題になったということがニュースになったりtwitterで話題になったりする。

さらに、youtubeにはテレビ番組の複製のような動画がたくさんあって、私はそれをむさぼるように観ているので、「テレビを見ていない」などと、カッコつけて言えないのかもしれない。


さて、このところ、トランプ大統領がシリアを爆撃して、北朝鮮にも、みたいなことが言われている。

私は暇さえあればtwitterを見る。仕事中はあまり見れないが、トイレの個室に入ったら呼吸をするように自然に見る。

私にとってtwitterはもう、体の一部のようになっている。


さて、そのtwitterで、最近よく見るのが、「シリアや北朝鮮で緊迫した事態が起きているのに日本では浅田真央の引退とか森友学園の問題とかどうでもいいことばかりニュースになっている」というようなツイートである。

こういうことが言われるのは今に始まったことではない。

たとえば、もうずいぶん昔の話だが、私が高校生の頃、東大の学生がボートに乗っていて転覆して死亡するとかいう事故が起きたことがあって、そのニュースが朝日新聞の一面トップに載ったことがある。

当時高校では「現代社会」という、なんだかよくわからない科目があって、その授業をやっていたのは東大卒の先生だったのだが、こんなことを一面トップに載せるべきではない、と、授業で話していた。


新聞や週刊誌などについても、アサヒは左だ、サンケイは右だ、フジは右でテレ朝は左だ、などということもよく言われる。自分でも、同じようなことを感じていた。

しかし最近はテレビをはじめ、ほとんどの放送とか出版とかいうものから遠ざかっていて、それらの情報に触れる機会さえない。

twitterとyahooジャパンくらいが私の情報源である。

日経新聞をとっているが、読む時間は日に日に短くなっていて、今では一面から最後までめくるのに3分くらいしかかからない。

読む速度があがったのではなく、読まなくなったのである。


その結果、報道とかマスコミとか言われるものは、私にとってほとんど無意味で無価値になった。

テレビで浅田真央のことを放送しようが森友学園のことを放送しようが、私には何も関係ない。不快も感じないし怒りも覚えない。


しかし、あらたな怒りが芽生え始めた。

そのような、「マスコミがあるべき報道の姿勢」みたいなことを言う人たちに対してだ。


オマエラは何様なのか。


それから、北朝鮮とかシリアとかのことが重大で浅田真央はどうでもいいというのは私も同意見だが、それはテレビや新聞が何を報じようがあなたはすでにわかっている。

真に重大なことはテレビや新聞では報道されないことはわかっているじゃないか。

そもそもテレビとは何か?

真実を伝える媒体か?違う。

テレビというのは娯楽媒体である。


娯楽のための放送である。

ナンセンスなお笑い、芸能人のゴシップ、スポーツ、マンガ、アニメ、ドラマなど、

仕事や学業で疲れた人が、リラックスしたり、憂さ晴らしのために見る、低級な娯楽を提供するための放送なのである。


真実を知りたければ、テレビなどに頼らず、自分で信頼できる筋から情報を得ればよいのである。


2017年4月15日土曜日

痛風その後

左足の甲に違和感を感じて2週間がたった。

最初は明らかに痛みがあってかすかに腫れてもいたが、今はほとんど痛まない。

でも、まだ少し違和感がある。

激痛を感じることはなく、普通に生活し、酒も毎日飲み、食べたいものを食べて暮らした。

むしろ、いつもより飲み、食べたくらいだ。

週末にしていたランニングは中止。腕立て伏せもやめてしまった。

体重を測るのもやめた。


ときどき、両手の小指がしびれたような状態になることもあって、

体全体がやや不調になっているように感じる。


歳も歳だし、夜は12時前に寝れることなどまずないような日々が続いていたので、

疲れがたまっていたのだろう。


仕事の忙しさは少し落ち着いてきたので、なるべく早く帰るようにして、

無理をせずに、ときどき手を抜くこともするようにしている。


痛風になったことはかなりショックで、暴飲暴食の不摂生なダメ人間だという消えない烙印が押されてしまったように感じ、少し自暴自棄になっている。


本格的な発作が起きると赤く腫れあがり杖をついたりしないと歩けない程になるらしい。

私がtwitterでfollowしている人が私とほぼ同時に発作を起こしていたのだが、私とは比べ物にならないくらいの重症だった。

それを見ると、私のは本当に痛風だったのだろうか?と思うほどだ。


でも、健康診断の尿酸値は一線を越えていることを示している。


昨日、新宿を歩いていてバスから降りてきた70歳くらいの二人の男性は、ボサボサの白髪でパジャマのようなスウェットのようなものを着て、杖をついて、無精ひげでヨロヨロと、どこへ行くのか歩いていた。

病院へ向かうのか病院から帰って来たのか。

私は、このままでは確実に自分もあんな風になる、と暗澹たる気持ちになった。

あんな風になるくらいなら、もう今すぐにでも死んでしまいたいくらいだ。


死にたいという気持ちは20代の頃から、それこそ発作のように自分を襲った。

でも、体がそれを拒んだ。食欲や性欲や、自然を美しいと思う感情などが、死ぬことを拒んだ。

精神は、何故死なないのか、と反語を使うくらい、死ぬべきだと思っていた。


今や加齢によって体は死へ近づいてきたが、まだまだ反発している。

ビルの高い階で窓から外を眺めて、「ここから飛び降りたら死ねるな」と思うが、

飛び降りることなど絶対にできない。死んではいけないと思うからではなく、恐ろしいし、痛いだろうからだ。

死ぬなら一人でボロいホテルの部屋で首をつるというのが現実的だろうと思う。

首吊りは苦痛がすくなく成功率も高いときくが、

でもなんせやり遂げた人の体験談を聞くことはできないから、もしかしたら、

とても苦しいのかもしれない、

そもそも、

死んだあと、自分がどうなるのかがわからない。

自殺すると、死んだ後も苦しむというのは、私には本当に思えてならない。

それが、やっぱり、一番自死を思いとどまらせている一番の理由だ。







2017年4月1日土曜日

独身男性が保育園問題を考える

最近保育園の話題をよく目にする。

保育園は不足していて、抽選か何かがあってなかなか預けられないそうである。

「保育園落ちた日本死ね」

という匿名のしょうもないブログが話題になった。


私はワイドナショーが好きで、普段テレビは見ないが日曜の朝10時だけは居間のテレビで見る。

保育園が定員より多く子供を預かり、少ない食事など劣悪な環境で保育していたという問題を扱っていた。


また、保育士の待遇が悪い、つまり給料が安いということも最近よく聞く。


そして、国がなんとかしないといけませんね、という結論になっている。



私は保育園には行っていない。

私が子供の頃、40年ごろ前は、保育園に行く子供は半分かそれ以下だったのではないだろうか。

それはつまり、共働きの夫婦の割合にほぼ等しい。

共働きではないのに保育園に預ける親もいるのだろうか。


私が子供の頃は、パートで働くお母さんはたくさんいたが、共働きの親などほとんどいなかった。

子育てはもちろん炊事洗濯掃除も全部女の、母親の仕事だった。


今では、女性と男性は子宮があるかペニスがあるかという生物的な差以外の差別はほとんど認められなくなった。

女性も仕事をし、結婚しても続けることが当たり前のようになってきた。

だから、保育園の需要が増えてきたのだが、供給が追いついておらず、いろいろな問題が起きている。


私は子供がいないどころか結婚もしていないのでこのことには関心がないのだが、あまりにいろんな人が、お笑い芸人まで真剣に語るようになってきたので、少しまじめに考えてみた。

私の考えは、現状、子供を預けて二親が外で働くような環境は整っていないので、どちらかが子育てをできないような夫婦は子供を産むべきではない、どうしても生みたいならどちらかが仕事を辞めるべきだ、というものである。

要は、男女平等なんかそう簡単に実現できないよ、ということである。

好きになりました、結婚しました、子供できました、おカネありません、母も働きます、子供預かってください、なんで預かってくれないんですか、おカネください、日本死ね、というのは、ほとんどアニマルじゃないですか。

子供を産んで育てることができるだろうかと、考えて行動しないんでしょうか?

そんなこと考えているから私はいつまでも独身でいるのでしょうか。