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5月, 2004の投稿を表示しています

生きるとは肉体である

と、つぶやいて、そのとおりだと自分で感心した。
たしか走って帰ってくる時だったと思う。
これは、人間も動物だ、肉体がすべてだ、肉体が健康で初めて心の平安を得るという肉体至上主義でないことをお断りしておく。むしろ逆で、これは究極の神秘主義、霊主体思想なのである。

人は口で何かを言って実行しないと批判される。「口で言うのは簡単、じゃあやってみろ」とね。誰もがそう思っている。何かの理想を描いて、それを「肉体を使って実現する」と。手や足や、目や耳や口を使って。道具を使って。言葉を使って・・・。でも、どうだろう、人がその理想を現実のものとするのは、ほとんど不可能のように思えないだろうか?

160Km/hのボールを打ち返して400フィート飛ばす・・・。
こんなことができるのはほんの一握りの人間である。
10億円を1年で稼ぐ・・・。
アメリカ大統領になる・・・。

ノーベル賞をとる・・・。
宝くじで1等を当てる・・・。
東大に入る・・・。弁護士になる、医者になる、国会議員になる・・・。
芥川賞をとる。作家になる。サッカー選手になる。
IBMに入社する。マイクロソフトに入社する。
体重を10kg減らす。世界チャンピオンになる。

努力が必要だ。宝くじは違うけど。ほかは、確かに運も必要だろうが、まず努力が必須の条件であろう。さて、努力とはなんだろうか?努力とは、節制ではないだろうか?睡眠を削ることではないだろうか?眠いのをガマンして、遊びたいのをガマンして、机に座ることではないか?走ることではないか?本を読むことではないか?それらはすべて、肉体の制御ではないか?肉体はあなた自身ではないか?いくらあなたが心の中で、頭の中で素敵な夢を描いても誰もそれをほめてくれないのはもちろん、見ることすらできないのではないか?あなたは自分の夢をほろ酔い気分で語って笑われるかもしれない、でもそれは本当に何も夢見ずに食べて寝て飲んで快適さを追い求めているよりはましである。

宝くじだって、紙きれをもって売り場まで行って衆人の視線に耐えてクジを買って持ち帰って来て、発表を待ってそれを見て、クジとてらしあわせて、当選したクジを引き換えに行って、札束をもらってくるという、そんな肉体の行使が必要である。でも人はそれを意識しないのである。人は、その幸せを現実化するために肉体を行使しようと意識することはないのである、幸…

肉離れかける

2004/05/15(Sat) 21:45

やってしまったかもしれない・・・
夕べは12時ごろ寝た。
目覚めたのは5時。夕べから今朝は走るぞと決めていたが、どうも疲労がとれていない。目覚めはしたが億劫で、走りたいという気にならない。ただ、走るべきである、という気持ちは非常につよかったので、おきて靴を履いて外へ出た。なんだか体が硬い感じがする。道にうつる影もなんだかギクシャクしている。簡単に屈伸などして走り始める。遅い。体がほぐれない。スタンドの脇で6分を超えている。はじめから3kmのつもりだったが2Kmでやめようかと思ったくらい。なんとか3Km走る。シャツを脱いで上半身裸になり、足を伸ばしてみる。まだほぐれない。つりかけのような感覚で、走ると痛い。今までに経験したことのない感覚だ。似た感覚はあっても、走り出すとほぐれていたのに、今回は走れば走るほど硬くなっていくような感覚。復路は1Kmで歩きだす。こりゃあかん、と、近道をして帰る。どうしようもない。何もしなければ何の痛みもないが、ふくらはぎを伸ばすことができない。「肉離れ」って、こういうのかな・・・
2004/05/15(Sat) 21:47
ゴロゴロしながらMLBを見て、ご飯食べて、昼ねして、ちょっと勉強したりしているうちに、だいぶ楽になってきた・・・。
治るといいんだけど。
今まで走っていためたことはあったけど、こういう痛みは初めて。
2004/05/15(Sat) 21:54
心あたりはある。
こないだのあるある大辞典でユーレイ指についてやっていたのを見て、意識して指に力をいれ、重心を前に置くことを心がけて歩いていた。そして、最近感じていた階段をおりるときのふらつき・よろめきが、それによって解消されていくのを感じていた。

すると右足がポキポキなることが気になってきた。これは思い起こせば中学生のとき、ミツオ君にケリを入れようとして彼の骨盤をけってしまって以来鳴るようになったものだ。