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9月, 2005の投稿を表示しています

下痢気味

最近ずっと下痢気味です。
毎日帰りにリキを飲んでるせいでしょうか。
背中の痛みはなくなったのですが。

sexual harrassment in the work place

Zappaの名ギターアドリブ曲ですが・・・今の職場はセクハラが横行している最低な職場です。ほかにも、職場の環境、食堂のシステム等、不満は多々あるのですが、セクハラという醜く悲しい行為が蔓延しているのは、この企業のゆがみの象徴だと思っています。

ここで、一般に言われているセクハラというものが、本質と乖離していることを指摘したいと思います。一般的にはセクハラは「軽度の痴漢行為」と捉えられていますがセクハラの本質はそうではなく「性差別」です。性の差異につけこんで嫌がらせをすることです。ですから、女が男にセクハラをする、男が男に、女が女に、という事もあるわけです。典型的なセクハラは「女が家事・育児をすべきだ」という思想ですが、「男は力仕事をすべきだ」という思想も同じセクハラになるのです。この事はほとんど理解されていません。「セクハラ」という言葉は真剣な顔で発言されることはなく「あなたはスケベな人ですねちょっとやりすぎですよ、エヘヘ・・・」という意味で使われます。

私の思想は非常に古風で、封建的でさえありますが生活のために妥協しています。特に、働いて給料をもらうためにはほとんど別人格になる必要があります。最初はこの事は自分を偽ることであるという後ろめたさがありましたが今では当然のことであると考えられるようになりました。しかし勘違いして欲しくないのは、私はそれが社会に適応するための大人の行動である、などと考えているのではないという事です。「妥協」であることには間違いなく、それが妥協であることは自覚している必要があるのです。楽観的な人なら、人間性の醜さを感じない人なら、子供のように感情を表現して生活していくでしょう。そのように見える人もいます。しかし、私は誰もそんな事はできないと思っています。「素直で飾り気の無い人」と思われている人こそ、もっとも自分を隠して別人格をつくりだしている人と言えるでしょう。

セクハラが、その別人格の表出の典型なのです。セクハラとは、タブーをタブーでないと言う主張なのです。セックスしないと人類は滅んでしまう、という非常に低次元な大義のもとにいどまれるヒューマニズム復興運動なのです。私にも性欲はある・・・どころかそれは私の生きるテーマであるとさえ言えます。猥談をしたり週末に1、2時間その手の店で過ごして忘れられるような甘っちょろいものではないのです。会…