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2005年9月8日木曜日

sexual harrassment in the work place


Zappaの名ギターアドリブ曲ですが・・・今の職場はセクハラが横行している最低な職場です。ほかにも、職場の環境、食堂のシステム等、不満は多々あるのですが、セクハラという醜く悲しい行為が蔓延しているのは、この企業のゆがみの象徴だと思っています。

ここで、一般に言われているセクハラというものが、本質と乖離していることを指摘したいと思います。一般的にはセクハラは「軽度の痴漢行為」と捉えられていますがセクハラの本質はそうではなく「性差別」です。性の差異につけこんで嫌がらせをすることです。ですから、女が男にセクハラをする、男が男に、女が女に、という事もあるわけです。典型的なセクハラは「女が家事・育児をすべきだ」という思想ですが、「男は力仕事をすべきだ」という思想も同じセクハラになるのです。この事はほとんど理解されていません。「セクハラ」という言葉は真剣な顔で発言されることはなく「あなたはスケベな人ですねちょっとやりすぎですよ、エヘヘ・・・」という意味で使われます。

私の思想は非常に古風で、封建的でさえありますが生活のために妥協しています。特に、働いて給料をもらうためにはほとんど別人格になる必要があります。最初はこの事は自分を偽ることであるという後ろめたさがありましたが今では当然のことであると考えられるようになりました。しかし勘違いして欲しくないのは、私はそれが社会に適応するための大人の行動である、などと考えているのではないという事です。「妥協」であることには間違いなく、それが妥協であることは自覚している必要があるのです。楽観的な人なら、人間性の醜さを感じない人なら、子供のように感情を表現して生活していくでしょう。そのように見える人もいます。しかし、私は誰もそんな事はできないと思っています。「素直で飾り気の無い人」と思われている人こそ、もっとも自分を隠して別人格をつくりだしている人と言えるでしょう。

セクハラが、その別人格の表出の典型なのです。セクハラとは、タブーをタブーでないと言う主張なのです。セックスしないと人類は滅んでしまう、という非常に低次元な大義のもとにいどまれるヒューマニズム復興運動なのです。私にも性欲はある・・・どころかそれは私の生きるテーマであるとさえ言えます。猥談をしたり週末に1、2時間その手の店で過ごして忘れられるような甘っちょろいものではないのです。会社の女の子を冷やかしたり昼休みに同僚とバカ話をする・・・これらの行為はわたしにはなんの喜びも与えないのです。我慢をしているわけではないのです。

そのような重要な問題は、単に糊口のための職場においては解決不可能です。職業というのは、私にとっては二の次のものです。カネがなくては何もはじまりませんが、わたしは時々、何も始める気がなくなってしまう事があるのです。

セクハラが横行している事と、精神・感情を病む人が多い事は一つの根源的な問題の二つの側面にすぎません。現在大企業においてはアウトソーシングと称して企業内に他者の人間を入れてさまざまな仕事を負担させています。企業内部の人間はプロパーと呼ばれますが、プロパーというのは日本の伝統である終身雇用と会社家族主義を根強く持っています。日本の企業の推進力はやはりそれらです。

しかし外部者にとって職場である企業は顧客にすぎません。顧客に対して良質のサービスを提供することは、非常に微弱ではありますが自分の報酬に反映します。それが現代の日本人の勤労意欲の根拠とされています。顧客に喜んでもらう事が目的ではなく、それによって自分が報酬を得る事が目的なのです。ですから、もし顧客の不満が自分の雇用を失わせたり報酬を減らす事がないならば、彼らが努力する理由はないのです。

しかし、プロパーは違います。大企業のプロパーは、入社した時点でほとんど生活を保障されており、その後の努力は生活とは別のことに対してささげられます。くだけて言うなら「生きがい」です。これはもはや経済活動ではありませんので、まったく合理性がないのです。プロパーと外部者にはこのような職業観の違いがあります。かくしてプロパーの職務遂行は非常に不合理なものです。さらにプロパーはおおむね裕福な家庭の出身で高学歴であり選民意識がるので外部者に不満を抱きがちになります。