スキップしてメイン コンテンツに移動

腰痛、飲み過ぎ

2007/03/12(Mon) 19:15

2週間くらい前から腰痛が出ている。今日はほとんどない。昨日はひどかった。電車で立っていたり、歩いていると痛くなってくる。電車で座っていればおさまる。寝てもおさまる。あんまり痛くて何をしても楽しくない。せっかくの週末なのに。しかし私はあえてバッティングをし、○○を△△した。いかにも腰に悪そうなことである。そしてたらふく焼肉を食べた。

その後テクテク歩いた。家について床についたが窓からひしひしと冷気が伝わってくる。暖冬だった今年の冬だが夕べは冷えた。雨戸をしめてもまだだめだ。使い捨てカイロを2枚敷きの布団の間に3個入れた。ようやく眠れた。

今日は腰痛がほとんどない。おかしいな。これは単なる外科的腰痛ではない。もしくは、単なる肩こりからきたのか。

2007/03/22(Thu) 18:24

最近腰が痛い。しかし単なる腰痛ではないような気がする。私は10年くらい前から無茶な酒の飲み方をするようになった。といってもせいぜい月に2,3度という程度で、1,2週間全く飲まないでも平気だった。また無茶といっても自分にとって無茶であるだけで大した量でもない。

ただしときどき、朝起き掛けに背中が異常にだるくなって起きる事ができないくらいになってしまう事があった。実際それで何度か会社を休んだこともある。ときどきそんな症状が出る事があったのだが、最近は週末にはほぼ必ずそうなるようになってしまった。量こそたいしたことは無いが酒は習慣となってしまって、休日は昼から飲んで前後不覚になって眠る。

そして昨日はことさらひどかった。昼前に出かけて北千住から上野まで歩いた。約1時間で、リキを二本。すっかり出来上がっていた。ざるそばを食べて水割りを一缶。小ビールを二缶。その後、俺は上野駅改札前の広場のようなところに座っていた。そして居眠りをして、ゴロン、と転んだ。確実に胴体が地面についた。そして左すねに傷を作った。転んだと言うより、倒れたと言ったほうがふさわしい。

目が覚めて、SUICAで上野駅に入って、そのまま別の出口から出ようとしたら駅員に同じ駅で出られませんみたいな事を言われた。でも出たかったので山手線に乗って秋葉原で降りた。じゃんがらの向かいにあるカレー屋に入った。辛口を頼んだがそんなに辛くもなく、味がなかった。

店を出てUSBメモリが2GBで1500円くらいで売っているのを見つけて買おうかなと思ったがやめてそのまま上野まで歩いた・・・はずだが、そこから駅までの記憶がまったく無い。10分くらいはかかるはずだが。今度は帰るつもりだった。ホームの売店でSPAとおにぎり二つを買った。後で見るとおにぎりは一つしか食べていなかった。実はこのことも翌朝おきてかばんの中をみてわかった事ですっかり忘れていた。

電車の中では寝ていた。A駅についたら体がだるい。とくに背部痛はひどくて鈍痛を通り越してなんだか焼けるようである。自転車をこぎながらこれはヤバいと感じた。家に帰ったら6時ごろだったがそのまま布団の上にひっくり返った。暑い。どうしようもない疲労。眠気はあるのだが背部痛のせいですっきり眠れない。しかし酔いと眠気が背部痛にまさって眠った。途中水や牛乳を飲んだが夕食も食べずに朝まで寝ていた。

3時ごろ目がさめたときにはもうほとんど眠れなくなっていて、体調が悪い時に良くみるループする夢を見ながらうとうととした。だんだん痛みはやわらいでいくのはわかったが、翌朝になってもまだ少し痛い。

今日はさすがに酒を飲む事はないだろうと思っている。

このブログの人気の投稿

死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。