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断酒

2007/04/01(Sun) 21:25

その日は飲まなかったが、翌日は5年に一度くらいしかない人との食事の約束だったのでビールを二杯飲んだ。その後リキと水割りを買って飲んでしまった。だが翌日はとくに不調でもなかった。食事をちゃんと取ったほうがよいのかなと思った。その後も体調は落ち着いたので酒も飲んだ。木曜日にはウィスキーを買っている。そして金曜日は飲み会。飲み会はまず間違いなく飲みすぎる。土曜の朝の最悪な寝覚め。金曜の夜はあしたのジョーを見ていた。その前に、花粉症のせいか鼻水がとまらないのでパブロンを飲んでいたので途中で1時間くらいか、寝てしまった。あおい輝彦がでてきたので起きた。全部終わったのが2時で、それからまたパブロンを飲んで寝た。土日は何もできなかった。まあ、例によって給料前最後の週末なので何かしたくてもできなかったのだが。というわけでずっとゴロゴロしていた。ずっと寝ていることもできないので録画した映画を見ていた。FFをやろうと思ったがゲームをする気力もない。思考力が低下している。食欲もあまりない。なんだか腹が張ってやたらにおならやゲップが出る。なんだか体がほてっていて、熱がないかと2回測ったが平熱である。酒はもう、飲みたくもない。


2007/04/02(Mon) 23:44

土、日と酒は抜いた。その代わりパブロンを飲んだ。土日ともに、食後と寝る前に3錠ずつ。パブロンはヤバい薬である。これはあきらかに麻薬成分が強い。わたしの体だけがそうなのかもしれないが、パブロンを飲むと間違いなく多幸感が得られる。以前にも、風邪がなおっても咳がとまらなかったとき、パブロンを飲んでヘッドホンでバッハのオルガンを聴いて天国に昇ったような安らかな気持ちになった。しかし昨日はさらに夜に濃いネスカフェを飲んだせいか、酒を抜いた禁断症状か、日ごろの鬱憤のせいか、興奮状態となってしまった。しかし体はだるいので寝てはいたと思う。起きてもイライラして駐輪場のじいさんにもう少しで怒鳴るところだった。仕事はひまなのでよかったが、あきらかに脳になんかの物質が、アルコールではない何かが、染み渡っているのを感じた。ああ、最近はもう、こういうところの文章の論旨どころかてにをはまでなんだかおかしくなっている。ひとり言が支離滅裂だったり。集中力が著しく低下している。勉強も5分程度しかもたない。

2007/04/06(Fri) 23:28

先週の金曜日の飲み会後、一滴も飲んでないよ。体調悪化は止まったけれど復活とはいえないな。背中の下部から腰にかけて、「いし」になったような感覚。それから、もうかなり長い間悩まされているカラ咳は、鼻汁が喉へ流れる事で起きているのではと、鼻炎なのではないかと、いわゆるチクノウではないかと、思えてきた。

2007/04/10(Tue) 23:21

酒を断って1週間以上経った。そのわりに体調があまりよくならないので、こういう事は本当はあまりしたくないのだが、エビオスを飲み始めた。以前同様な状態のときに飲んで、効果テキメンであったのを思い出したのだ。というより、そういえば体調がイマイチになったのはエビオスをやめてからだと気づいたのである。エビオスを飲むと、まずウンコが非常によく出る。そして食欲がでる。そして、激しく朝立ちする。これははっきりとわかった。エビオスと同じような成分であるがやや高価な強力わかもとも飲んでみたことがあるが、こちらはあまり効果がなかった。ただし、どちらも酒を飲むと台無しになる。

2007/04/12(Thu) 00:14

ただいま肉体改造中です。肉体改造と言えば鳥のササミを食う事。でもそれは今の生活では困難であるし別にアスリートではないのでそんな事はしない。まず断酒。これが前提でありメインである。
これさえ維持していれば肉体改造は継続される。休肝日を週に一日は設けなさいとはよく言われるが、無茶している人にとっては1年くらい必要かと思われる。酒を飲み続けた人の肝臓はピクルスのようになってしまい、たとえ酒をやめても元に戻る事はないという話しを聞いたことがある。しかしまた、人間の細胞は常に代謝を繰り返しており、体をつくっている細胞は3ヶ月くらいですべて更新されるという話もきいた。わたしは後者に期待している。どちらが真実かは知らないが、前者が真実ならもう私は救いようがないから後者を信じることにした。

たしか二年位前にも背部の鈍痛がなおらず、断酒したことがある。そのときも1週間くらいたってもいっこうに治らず、おかしいなと思った記憶がある。しかし気がついたら体調は絶好調となり酒もガブガブ飲むようになっていた。今度こそやばいかな、と思ったが、酒をやめてたくさん歩いたり走ったりしていると、回復してくるのを感じる。さすがに回復速度は多少低下している感もあるが。とにかく酒はこわい。酒はドラッグだ。人生を破壊する。

2007/04/16(Mon) 22:24

酒をやめた今は寝しなにコーヒーを飲んでいる。多少寝つきが悪い、胃に不快感がある、ということはあるが、眠れなくなるというほどのことはない。週末のお散歩のときにはコーラやニューダを飲む。まあ、いまいちテンションがあがらず吹っ切れない、特に見ず知らずの人と打ち解けにくいということはあるが、なんとか大丈夫。酒を飲むのは酔うことだけでなく、口さみしさを紛らわすためでもあったということがわかった。酒をやめることの思わぬ効用は、無駄なものを食べなくなったことだ。これは効用というか、酒を飲むことによる食欲増進がなくなっただけだろうが。平日は帰りにリキをあおり、コンビニでチーズや柿ピーなどを買って寝転がって飲みながら食べる。週末はひとりでテハンノへ行く。そりゃあ太るわな。それから飲むことで無駄にスケベになって散財するのも止まった。いいことづくめだ。もう一生飲まずに過ごしたいくらいだ。

2007/04/18(Wed) 00:16

お酒をやめて3週間目になるが、ときどきとてもイライラする。集中力の欠如を感じる。関係ないかもしれないが、最近電車に乗って動き出すと、本当にこの電車でいいんだっけ、と軽く不安になる。
例の腰痛というか背部鈍痛は、なかなか消えない。今もかなりキている。

なんども繰り返しになるが、2007年になってから、俺はおかしい。体だけでなく、精神も、心も、何もかもおかしい。たすけてくれ。

2007/04/19(Thu) 00:26

最近ニュースになっているタミフルは日本での利用が圧倒的に多いという。その理由は日本人はインフルエンザになるとすぐに病院に行くかららしい。それはわかる。インフルエンザどころか、普通の風邪でもみんなすぐに病院へ行く。風邪をひいて会社を休むとすぐに「病院へ行ったか」と聞かれるが、風邪ごときで病院になどいってられない。行った事はない。電子体温計が測定不能になるくらいの高熱が出て、何も食べられずポカリしか飲めないような、間違いなくインフルエンザだろうと思われるようなときにも、私は病院へいかず、パブロンを飲んで寝ていた。私はほとんど病気をしないのでその必要もないのだが、病院へ行くのは好きではない。わたしが毎朝と通るみちに小児科があるのだが、出勤するときにそこに子供をつれた母親たちが列を作っているのをよく見る。診療時間の前から並ぶなんて評判のいい医者なのだろう。彼女らの事情は知らないがたいしたことないのに病院へ連れて行っているように思えてならない。そもそも風邪を直すクスリなどないことをみんな知っているのだろうか。医者が処方するのはせいぜいその症状が苦痛でないようにするだけのクスリだ。

2007/04/22(Sun) 13:42

もうすぐ断酒1ヶ月になる。酒を飲みたい衝動が出てきた。体調はかなりよくなった。心なしか腹もへっこんだ。余計な金も使わないし。いい事尽くめだ。だけど今日みたいに風が強く吹いていて静かな日曜の午後はじっとしていられない。

2007/04/23(Mon) 23:44

土曜、日曜と連続で、夕食は富士そばの特もりそば。470円也。べつにダイエットでも節約でもない。食欲がなかったのだ。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。