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6月, 2007の投稿を表示しています

おいしいもの

1: 2004/03/21(Sun) 23:13 人は食べるために生きる。生きるために食べるのではない。
人は生きる。意志を持って生きる。生きるという意志を持って。動物のように本能で生きるのではない。病院に行く、クスリを飲む、手術をする、これらのことがそれを証明している。 2: 2007/01/21(Sun) 01:35 キムチチゲとユッケジャンの違い。
キムチチゲには牛肉が入っていないので、ただの辛いスープ。
ユッケジャンには牛肉が入っているのでコクのある味がする。
ビビンパハウスのカルビ麺は多分、ユッケジャンスープである。 3: 2007/02/04(Sun) 00:41 オムニ食堂新大久保店でユッケジャンをいただく。
これぞ正統ユッケジャン。辛さもコクも申し分ない。
1350円ときいてうっと思ったがそれに値する味であった。 4: 2007/04/19(Thu) 23:50 最近食べていないが、ミノの最初の一つを食べるときに、口臭のような味がする。
それがミノの味なのかとも思ったが、そのうちしなくなる。
何度かそういう経験をした。硬いから強く噛むので口臭がにじみ出るのか。 5: 2007/04/24(Tue) 00:04 徳光氏が、「内臓系が好きだったが心臓によくなかったようだ」と言っていたのを聞いてピタリとやめた。別に彼が倒れたからではなく、心当たりがあったからだ。最近なんだか動悸がはげしく、ムネが苦しくなるようなことが多かった。考えてみるとホルモンとかミノとか食べるようになってから、体調が変になった。 6: 2007/05/06(Sun) 22:54 酒を断つと同時に韓国料理からも離れていたが解禁した。
ユッケってすごい料理だよね。生の牛肉に生卵がのってて、ニンニクのスライスが散らしてある。これは一体どういう目的の料理なんだ。 7: 2007/05/06(Sun) 22:56 うまいと思っていた焼肉屋に行ったが、キムチからなにからしょっぱい感じがしていまいちだった。ミノもホルモンも、そんなにうまくない。ビールもうまくない。まだ暑さが足りないか。 8: 2007/05/28(Mon) 01:15 今日買ってきたタコの干物はうまかった。
写真までとった。しかしその後ものすごい下痢をした。
タコのせいかどうかはわからないが。夕食も全部流れてしまったのではないか…

正露丸をやめる

2007/06/15(Fri) 04:48

夕べあったことなのだが、目覚めると、胸が痛い。そして下あごの奥のほうが痛い。胸のちょっと上からあごにかけて、痛い。寝ていられなくて、上体を起こす。ヘンな姿勢で寝たからかな、と思い、また寝るが、やっぱりまだ痛い。ちなみにその時うつぶせになっていた。うつぶせだからかな、と思って仰向けに寝なおす。直感的に、心臓ではないかと思った。夕べは少し酒を多めに飲んで、やけに鼓動が激しいなと感じた。こめかみのあたりがドックンドックンといっているのが聞こえるような感じ。そのまま寝てしまった。それから、ときどき心臓がドドドッっという風に、何かつっかえてたものが取れるような、動悸を打つ事がある。これは不整脈というものではないか?最近はちょっと心臓に負担をかけているかな、という気はする。最近やっていないがランニングも無理をすると心臓に負担だったのかな、と思える。結構追い込んでいたから。その疲れが来たか。
2007/06/20(Wed) 21:20
日曜日外出中に激しい下痢をした。下痢をするのはよくあることで特に酒を飲みすぎるとすぐなるので別にいつもの事だとほっておいたがなかなか治らず食欲もなくて何もできないので薬局によって正露丸を探した。以前小さいビンのものがあったのだがそれはなく、おしゃれなケースに入った携帯用というものがあったが700円くらいで高いのでやめて隣にあった小さめのビンの300何十円のものをレジに持っていった。店員がバーコードをピッとやったときに気づいたのだが、マークが違う。ラッパのマークではない。マーク以外は箱の色も大きさも正露丸の字体から色まで同じなのだが、マークが違う。店員にこれ正露丸ですよね?と聞くとメーカーは違うけど中身はほとんど同じですよ、という。俺が迷っているとどうするかはお客さんが決めてくださいとちょっといらつきぎみに言われた。俺はラッパのマークの正露丸に取り替えてもらった。値段は倍くらいなのだがインチキくさくて怖かったからだ。すぐに3粒飲んで、食事をしてまた3粒飲んだ。どうやら治ったようだ。私はよく下痢をするがいつも正露丸を飲む。たいてい1回で治ってしまう。私が愛用している3つのクスリは、パブロン、キンカン、正露丸である。この3つさえあれば何とかなる。あんな類似商品が堂々と薬局で売られているのはどういうことかと思ってネッ…

私はコミュニケーションが下手か

私はコミュニケーションが下手だと評価されていると思う。面と向かってあなたはヘタだといわれたことはないが、間違いなくそう思われているだろう。自分でもあまり得意ではないとずっと思っていたし、最近では俺ってホントコミュニケーションがヘタだな・・・と思いかけていたのであるが・・・いや、そんな事はない、と思い始めた。

私は口数が少ないし、しゃべっても主張がはっきりしないことが多いし電話が嫌いだしメールの文章もぶっきらぼうである。ペラペラと誰とでもしゃべり、わからない事があったら納得するまでとことん追及し、何かあったらすぐ報告連絡相談する・・・そういうのがうまいコミュニケーションであるというなら私は下手である。間違いなくヘタである。

しかし最近思い始めたのだが、コミュニケーションは量が多ければいいってもんじゃないということである。通信技術の世界でも、ARPとかDHCPのようなブロードキャストを利用した単純な方式もあれば、マルチキャストのように受信者を選別する方式や、OSPFのように代表ルータを選定したりエリアわけをして不要な情報を流さないようにしたり、一定の間隔で広告するのではなく変更があったときだけ最小限の情報を流すとか、いろんな通信技術があるのである。

実装の容易さ、ネットワークの規模、用途、ユーザ数、などによってどの技術が適しているかは異なってくるので、一概にどれがよいとは言えないが、現在は組織が複雑化多重化しているので、今までのような単純なコミュニケーション方式は通用しなくなっている。

それは人付き合いが苦手だとかマナーとかいうのとは違う問題である。性格とか心理というもののせいにするのはよくない。それらは変えるのが非常に難しいからだ。少なくともただ金儲けのために集った赤の他人がなんとかやっていくだけなら、そんな人間性の本質について考える必要はまったくない。技術的な対策で十分対応可能であり、そうしなければいけない。

異教徒

いつ頃だったろうか、社会人になって数年たって、毎日のあまりのつまらなさに退屈を通り越して憤りさえ覚え始めてついに踏み外してしまった頃、わたしは自分の思想を形にし始め、この頃それが固まりつつある。
簡単に言うと道徳と実践を重んじ、保身や損得のための屁理屈を厭うというのが基本姿勢である。

何を読んだのが初めてだったか、海外の小説で異教徒という言葉が出てきたときに、違和感を覚えた。この言葉は、重い意味では未開人を差別するように使うし、
軽い意味では田舎モノくらいの意味で使うようだが、どちらにしろキリスト教徒以外を認めないような独善排他的な姿勢に疑問を感じたものである。自分が異教徒でもあるし。しかしそれから数年、もう20年くらいたった今になって、その違和感の意味がわかってきた。

我々は異文化を常に平等にならべて客観的に評価するように教育されてきたのだが、それはキリスト教徒にとっては逆に違和感を感じることなのである。我々からしてみたらキリスト教徒が自分達を無条件に正しいとしてその世界観ですべてを判断している、と疑問に思うかもしれないが、キリスト教徒にしてみたら、何もかもを、キリスト教から仏教から無神論から共産主義までなにもかもを客観視できるそんな立場がありえるか?それこそ自分達の絶対視ではないか、と思うはずだ。

私もそのことを理解するには大変苦労した。「客観という名の偏見」から脱却するのに。この脱却が容易でないのは、脱却してしまうと無重力状態のように、自分を位置づけるものがなくなってしまうからだ。それはアイデンティティとか、よりどころとか言われているが、現在の日本にはそれがない。ついこないだまでは、それがあった。会社であったり、国家であったり、天皇であったり。今はもう、何もない。だから殺伐としている。自分の感情や主張をそのまま隠すことなくぶちまけあう。なぜ人を殺してはいけないのかなどということを、まじめに議論している始末。

では私はどうやって脱却したか。答えは簡単である。最初にでてきたクリスチャンになったのである。多分非公認だと思うが、私は自分はクリスチャンであると自覚している。

なぜニートを責めるのか

この職場の入り口に「地球にやさしい云々」という看板がある。この言葉は最近ろんなところで使われているが、私はこの言葉が大嫌いである。なぜならみんなが地球にやさしくしているのは別に地球がかわいそうだからではなく、このままでは資源が枯渇したり温暖化になったりして自分達がいや、自分が無事に暮らせないという利己心に基づいているからである。私だって利己心に基づいて暮らしている。普通の人以上に利己的なくらいである。しかし、私は自分の行為が誰かのためであるとか地球のためであるとか主張して自分の行為が正当であるかのように偽る事はしない。私もこの世に生まれたからは殺生をしなければならないのはもちろん、人や社会に対しても時には感情的にあるいは主義として不快な思いをさせることがある、それは不本意ではあるが、自分でもどうにもならないことなので許して欲しい、そういうスタンスである。その代わり私だって不快な思いをする事が多いが、腹はたっても我慢をすることがある。というか、よほどの事がない限り他人に面と向かって不満を表明することはない。

ただし、今がそうなのだが、どうしても譲れない事がある。それは、「別に誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだからいいじゃないか、みんなやっていることだ」という主張である。これが私のポリシーに全面的に反するのである。あまりに漠然としているので具体的な例をだすと、仕事である。働くという事である。最近ニートが問題になっているが、多くの人がニートに対し、いい大人が仕事もしないのはけしからんと考えている。税収がなくて国家財政の危機だと考えている人は少ないだろう。ほとんどの人は自分はつらくてもがんばってるのに、と感じているだけだ。しかし、仕事をするのも利己的な行為なのである。家族がいて扶養するためであっても。親の介護のためであっても。私だってそうである。特に、最近は市場至上主義になってきて、それが露骨になり、市場主義的でないものを罪悪視する傾向さえある。誰だって、カネが必要だから働く。必要なカネがあってももっと欲しいから働く。もっと欲しいから競争する。よりよいモノを作るのも、徹夜や休出するのも、カネが欲しいからである。上司の顔を立てるのも上司に評価されたいがためである。出世したいからである。そこまでいかなくても、クビになりたくないからである。お客さんに敬語を使ったりペコペコ…

ある新人

このことはこんなところに書く事でもないと思っていたのだが、もう耐え切れないので書く。書かなかったら俺はもう眠れずに病気になってしまう。この病人だらけの職場に新人が来た。去年の春だったかな。こいつがとんでもない奴だった。今までに見たことのない、出会ったことのないタイプの男である。第一印象は悪かった。来て早々に歓迎会をやったのだが、そのときも俺はどうも苦手で、顔を見ることもなかなかできないくらい、こいつとは仲良くなれねーな、と思った。しかしこいつはなかなかおしゃべりな奴で、バカで、しょうもないことをペラペラしゃべるから、バカにしながらだんだん打ち解けていった。パソコンが趣味で好きなようで、こまごまとした知識はある。しかしPCオタクにありがちなうぬぼれて傲慢な態度は鼻持ちならない。

こいつには今年の年明けから悩まされている。同僚の一人はこいつとの仲が険悪になったのをきっかけにクビになりかけているし上司は胃を壊したし、紅一点の女の子もやめたがっている。すでに何人かはこいつを避けてやめた。俺は事情があってやめられないのだが、こいつと別れられるなら考えてもいいと、最近思い始めた。

こいつが許せないのは仲間を売ることだ。平気で仲間を裏切る。これだけは許せない。こいつの経歴を聞いて最低な奴だと思ったが、まあ別に誰に迷惑をかけるわけでもなし、と流していたのだが、こうなってくるとやっぱり見逃せない。こいつはどこまで本気なのか、もしかしたら俺もやられるかもしれない。かなり飲食させたのだが、もう一切出さないつもり。こいつ、おごられることをなんとも思わない。財布に手をかけようともしないたいした奴なんだ。

職場に病人が多い理由

最近仕事でのコミュニケーションが難しくなっている。その理由は雇用関係と組織の多重化である。組織の多重化というのは、まずアウトソースで他社に業務を委託することがある。次に、派遣社員の利用。そして、委託先の企業が再委託をする、あるいは派遣社員を使うことになり、2重3重などあたりまえの雇用関係が生まれる。本当は業務委託や人材派遣の利用は雇用にはならず、雇用者として扱ってはならないのだが、実際には雇用者のようにあつかわざるを得ない。最近ニュースなどで「派遣社員など」という言われ方をするが、わたしは、正式な派遣事業者に登録した派遣社員というのはかなり特殊な存在であり、低所得であるとか雇用を圧迫するなど問題視される対象でもないと思っている。問題なのは業務委託された企業が再委託を行い、その雇用者を個人的に業務委託契約を結ぶという、偽装請負の方である。


ただし、今問題にしたいのは偽装請負の事ではない。これらの雇用関係と組織の多重が引き起こすコミュニケーションの難しさを指摘したい。第一の問題は、雇用と業務の階層が二重に存在する事。もう一つは、それらの階層が必要以上に深くなっている事。雇用の波を吸収したり人件費や福利厚生費を削減するためには階層が深くなってもあまり問題はないが、業務遂行のためにはなんのメリットもない。そしてその階層の深くなった組織では当然コミュニケーションが増大する。普通なら電話一本であるいは直接行って話しかけてすぐ解決することであっても、いったん上司を通し、その上司が別部署の上司へ連絡し、その部下に伝える。上司は問い合わせの事項についておたがい詳細を知らないから、ただ伝えるだけである。伝達漏れ、質問に対する再質問が発生することもある。

それからもう一つの問題は、メーリングリストの利用である。電子メールは、一度に大勢に送信できるので便利なようだが、それが便利なのはSPAMを送る時くらいであって、コミュニケーションとしてはあまりよいツールではないように思う。業務でもルーチン化された連絡ならMLでいいだろう。しかし議論やトラブルシューティングをMLでやるのは最悪。それらは別途電話や会議でやって、結果だけをまとめてMLで報告すべきである。・・・と言うのは簡単であるが、先ほど言ったように今は組織が多重に階層化されており、電話や会議といったナマなコミュニケーションをするのは一苦…