なぜニートを責めるのか

この職場の入り口に「地球にやさしい云々」という看板がある。この言葉は最近いろんなところで使われているが、私はこの言葉が大嫌いである。なぜならみんなが地球にやさしくしているのは別に地球がかわいそうだからではなく、このままでは資源が枯渇したり温暖化になったりして自分達がいや、自分が無事に暮らせないという利己心に基づいているからである。私だって利己心に基づいて暮らしている。普通の人以上に利己的なくらいである。しかし、私は自分の行為が誰かのためであるとか地球のためであるとか主張して自分の行為が正当であるかのように偽る事はしない。私もこの世に生まれたからは殺生をしなければならないのはもちろん、人や社会に対しても時には感情的にあるいは主義として不快な思いをさせることがある、それは不本意ではあるが、自分でもどうにもならないことなので許して欲しい、そういうスタンスである。その代わり私だって不快な思いをする事が多いが、腹はたっても我慢をすることがある。というか、よほどの事がない限り他人に面と向かって不満を表明することはない。

ただし、今がそうなのだが、どうしても譲れない事がある。それは、「別に誰にも迷惑をかけているわけじゃないんだからいいじゃないか、みんなやっていることだ」という主張である。これが私のポリシーに全面的に反するのである。あまりに漠然としているので具体的な例をだすと、仕事である。働くという事である。最近ニートが問題になっているが、多くの人がニートに対し、いい大人が仕事もしないのはけしからんと考えている。税収がなくて国家財政の危機だと考えている人は少ないだろう。ほとんどの人は自分はつらくてもがんばってるのに、と感じているだけだ。しかし、仕事をするのも利己的な行為なのである。家族がいて扶養するためであっても。親の介護のためであっても。私だってそうである。特に、最近は市場至上主義になってきて、それが露骨になり、市場主義的でないものを罪悪視する傾向さえある。誰だって、カネが必要だから働く。必要なカネがあってももっと欲しいから働く。もっと欲しいから競争する。よりよいモノを作るのも、徹夜や休出するのも、カネが欲しいからである。上司の顔を立てるのも上司に評価されたいがためである。出世したいからである。そこまでいかなくても、クビになりたくないからである。お客さんに敬語を使ったりペコペコするのも、もちろんお客さんを尊敬しているからではない。感謝はもしかしたらしているかもしれないが、それだって自分の給料の大元だからであるに過ぎない。

その利己心によって経済が発展する、社会が潤う、よりよいサービスが生まれて豊かな生活ができるようになる、利己心万歳、利己心を持たないやつは悪人だ、ということになっている。それなのに、カネがあるから働く必要のないものをどうして責めるのだろう?あなたがたの利己心によって働かなくても生きていけるという信じられないような奇跡がこの世に誕生したのである。それがあなたがたの利己心主義の究極の成果ではないのか?どうしてあなたがたの利己心はほめられてニートの利己心はほめられないのだろうか?あなたがたは実は自分が儲けたいという以外の不純な動機を持っているのではないか?口にはださないが暗黙の了解となっているある事項に合意しているのではないか?しばられているのではないか?それを無視するニートが怖い、妬ましい、うらやましいだけなのではないか?

健康診断 2019年8月

<2017年2月→11月→2019年8月> 身長 174.6 → 174.5 → 174.4cm 体重 73.2 → 72.1 → 69.3kg 腹囲 84.5 → 88.1 → 86.5cm 血圧 104/74 → 116/80 → 110/62 AST 25 →...