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魔人

今朝魔人に遭遇した。駅の椅子にかばんを置いてその横に立って電車を待っていたら、魔人が私の目の前を、例によってすれすれに通っていった。モアイ像の様な額と頬骨の出たいかつい顔、短く刈って立てた少し白髪交じりの髪の毛、最近かけるようになったサングラス。彼は私と同じ車両に乗った。いつものように両足を通路の真ん中あたりまで投げ出して身じろぎもせずにすわっている。駅につくと魔人のとなりの人が立ち上がって投げ出した足を邪魔だなという目で見ながら降りていく。

本当は後ろから観察したかったが彼がなかなか降りないのでやむをえず先に降りた。エスカレーターの右端を歩いて昇り改札を出て少し歩くと、また魔人がスレスレに、今度は私の左脇を追い越していった。あまりに近かったので私は追い越していく彼の右の横顔とサングラスの間にある右目をずっとにらみ続けたが、いつものように彼は視線を向ける事すらせずにそのまま歩いていった。

彼はいつも駅を出ると階段の下の喫煙所でタバコをすうのだが今朝はそのまま歩き出したので後をつけた。線路の脇の道の線路から遠い左側を、傘をさして路側帯の外側に沿ってまっすぐに歩いていく。初めて魔人に遭遇したのも雨の日だった。歩くのは速い。少し油断しているとすぐに離される。

前方に50歳くらいの夫婦と思われる二人が並んでゆっくり歩いてきた。女は内側を歩いている。男は路側帯の外側、そのまま歩いていればちょうど魔人とぶつかるあたりを歩いてくる。私は右側に寄ってすれ違う様子を観察した。彼はやはり全くよける素振りを見せず、線路の上を歩いているか、あるいは目が見えないかのように、そのまままっすぐ歩き続けた。夫婦の女の方は右側に、男が左側によけ、魔人は路側帯にそって悠然と夫婦の間を割って歩いていった。

しばらく歩くと、魔人は傘を閉じた。私は雨がやんだことに気づいていなかった。水溜りをみると雨の落ちている様子はないが、またいつ降りだすかもわからないのでそのまま傘をさしていた。彼はやはり目は見えるのだ。いや、もしかしたら傘に落ちる雨音がしなくなったことでやんだと判断したのかもしれない。

左に曲がり、今度は魔人も皆がするように右側を歩き始める。またこの道はせまくて車の通りも多少あるので、路側帯の内側を歩かねばならない。彼の前方に男が一人、その少し前に女が一人歩いている。男は路側帯の内側を歩いているが女は路側帯のちょうど上あたりを歩いている。危ない。魔人はみるみるうちに彼らに追いついた。さすがに後ろからなので魔人も男をよけて左側にずれた。女の真後ろあたりに位置している。そして女を追い抜く時には、右側にずれて、女が右肩に背負っているバッグに触れて追い抜いていった。女は魔人を振り返った。魔人はやはりまっすぐ前方に顔を向けたまま加速するように歩いていく。確実に目は見えている。最初に出会ったときも駅で携帯電話を開いてメールかなにかを確認している姿を見ているから目が見えないということはないのだが、やはり視覚に何らかの障害があるのではと思える。サングラスをしているのもそのせいではないか。次の角を右に回ると魔人は私をかなり引き離していた。彼が建物のどこにいるのかまで確認することはできなかった。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。