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なぜ太るか

2007/07/02(Mon) 19:24

カゼなのかこれは。ひどい下痢。泥水のようなウンコが大量に出た。ゆうべはガキを見て期待していたのにつまらなかったのでふて寝のように寝てしまった。しかし昼寝をしたせいもあってかなかなか寝付けず、仕事にからむループするいやな夢を見た。4時くらいまで、うつらうつらしていた。起きたらハラがキユーンと痛んで、ゴロゴロ鳴っている。トイレにいったら人生最大の下痢だ。ドボドボとウンコが、液状のウンコが出た。朝飯は食えない。ヨーグルトとりんごのみ。出勤はしたもののもうろうとしている。熱っぽい。カゼだろうか。いままでなら間違いなく正露丸を飲んでいたような下痢である。あー、これで正露丸が飲める、と思うくらいの下痢である。しかし宣言したように私はもう正露丸を飲まない。下痢になったら下痢のまま、ほっておく。

2007/07/03(Tue) 03:10

眠れない。まあ、酒飲んで9時ごろから12時くらいまで寝てしまったのであるが。酒を飲むと睡眠の質が低下する。そしてさらに酒を飲んで眠ろうとする悪循環。やがて不眠になる。今までにも何度か経験したこと。ただ最近はいわゆる伽場蔵のようなところで痛飲することはなくなったので、仕事に穴を開けるようなことはない。

2007/07/03(Tue) 23:06

今日家に帰ってきたらなんか変なにおいがする。晩御飯かと思ったが、部屋に入って扇風機の上にかけておいた部屋着がなんか焦げ臭いようなにおいがする。なんだこれはと扇風機をよく見ると、とまっているがスイッチが入ったままだ。近くにあったビニールのゴミ袋が羽に絡まって止まっていたのだ。そのままずっと電源が入ったまま放ってあったわけだ。たぶん夕べのうちに絡まっていた。おそろしい。あやうく火事になるところだった。ちなみに扇風機は今も無事に動いている。

2007/07/03(Tue) 23:56

正露丸を我慢したおかげで、おもいきり硬いウンコが出ました。ずばり高度8ですね。

2007/07/04(Wed) 22:13

昨日は日曜日なのに珍しく家にいた。部屋をかたしたりしていたが、だるい。だいたいどうして毎週末外に出るかというと、家にいるとだるいからである。退屈とかやることがないとかつまらないではなく、家にいると体がだるくてつらいのである。それで外へ出る。外へ出ればいろんな刺激があって、多少だるかったり眠かったりしていても楽しくすごせる。家にいるとただだるいだけで、昼寝をしてもヘンな夢を見るばかりで休まらない。そしてやっぱり、昼寝をしたらヘンな夢を見て休まらなかった。電話が鳴って起きたのだが、なんだこりゃ、と声に出したほどだるい。なんか体によさそうなものを、と冷蔵庫から牛乳を出して湯飲みで2杯飲んだ。今から思えばこれがよくなかったか。その後近所に買い物に行って、5時半からずっとテレビを見ていた。途中食事をはさんでずっと見ていた。焼酎も飲んでいた。テレビはあまりおもしろくなかったが、12時近くなったので寝た。風呂に入りたかったのだがだるくてどうしても動けなかった。しかし昼寝をしたせいか寝つきがよくない。仕事に関係したループするおかしな夢を見る。たまにうつらうつらするが結局4時くらいまでちゃんと眠れなかった。いつものように8時15分前に起きると、腹が猛烈に痛い。そしてゴロゴロと鳴っている。これはまずいとトイレに行くと、ものすごい下痢だった。いままで経験した事のない量だ。泥水のようなものが出た。朝食はヨーグルトとリンゴだけを食べた。会社に来てもだるく、熱っぽい。カゼをひいたような感じだ。

酒を飲むと太るのはなぜかという事がよく議論される。科学的にもはっきりしていないらしい。ただしわかっているのは、酒のカロリーはエンプティカロリーといって、すぐに消費されてしまい脂肪としてはたまりにくいということ。これを根拠に、酒を売ってる会社は「アルコールそのものでは太りません」などとホームページに書いている。太るのは酒によって食欲が増して脂っこいおつまみを食べるからだ、などという説がもっともらしいが、わたしの経験からすると、太るのは酒によって代謝能力が損なわれる、ということだと思う。

今思ったのだが、食事を抑えても同様なことが起こるのではないか。食べないと筋肉も脂肪も落ちるので一時的に体重は減るが、代謝能力が損なわれてしまい、そのうち太りだす。筋肉量が増えると代謝が増えて脂肪が燃える、だからやせる、というのも一理あるが、私は代謝量よりも、代謝能力、代謝の質の方が重要だと考える。酒や断食はこの代謝の質を低下させるのである。酒を飲まずによく運動していた若い頃は、胃袋は熱したフライパンで食べ物はバターのようなものだった。あっというまに溶けてしまう。しかし今はフライパンは生ぬるく、バターはなかなかとけない。このフライパンの熱さは消化の力というよりは代謝の能力であろう。

酒と肥満に話を戻す。結論からいうと「酒を飲むと太る」。この因果関係自体は間違っていない。「アルコールそのものでは太らない」というのは空論である。酒を飲むと、おつまみを食べなくても、太る。これはそのうち医学的に証明される日がくると確信している。

私はある時期食事の量を減らしていたことがあった。朝は食べずによるも茶碗一杯。食欲はあったのだが食べていなかったのだ。その生活がしばらくつづいて、多分体重減ってるだろうなと思ってはかったら逆に増えていた。68キロくらい。一方、昼食に食堂でカツカレーとか食べていた頃は、62キロくらいだった。このときは週末に走りこんでいたのである。走っていたときは食欲があったがやせていた。

因果関係だけでいうと「食べるとやせる」これもまた真である。重要なことは、人間の代謝能力は変化するという事であり、代謝能力がおちれば食べなくても太るのだ。繰り返すが代謝量ではない。代謝能力が低い人でもたくさん筋肉をつけたら代謝量はあがるかもしれないが、きっと体を壊すと思う。筋トレもダイエットもせず、よく食べて酒はのまないで、早寝早起き。そうしてれば絶対太らないで健康になると思う。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。