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ダイエット論

2007/08/23(Thu) 19:39

bbcというダイエット商品が大ヒットしている。周りにもやっている人がいたしTVなどでも話題なので知ってはいたが、確か100万セットだか売れて新聞記事になっていた。その記事に、ダイエット商品は楽してやせられるというものが売れるという常識を覆したという事が書いてあった。かなりハードで挫折する人も多いと聞く。私はダイエットが嫌いである。そしてこのBBCも、今までの楽してやせるというダイエット商品となんら変わらないのである。この商品はbillyという人がインストラクターとしていろんな運動をおこなうのであるが、その時に過激な叱咤をするらしい。これがヒットした一番の理由である。これによってダイエットのモチベーションを維持できるのである。激しい運動と罵倒に近いトレーナーの激励。これによっていかにもダイエットしている、これならやせる、と思えるのである。ここに問題がある。この苦行的なダイエットというのは、麻薬なのである。ダイエットに限らず、仕事でもなんでも、苦労してるから成果があるはずだと思い込むこと、もしくは苦労した事自体が成果であるかのように錯覚してしまう。そもそも私はダイエット自体が非常に危険であると考えている。肥満というのは生活の乱れの蓄積である。それを短期間の食事制限や過激な運動で無理に体重を落とすと、一時的に体重は減っても、さらに太りやすい体質になってしまう。いわゆるリバウンドというのは、ダイエットの反動ではなく、ダイエットそのものが原因なのである。ダイエットしたから太るのである。ダイエットは始めたら死ぬまで続けないと、やめた時に必ずダイエット前よりも太る。ダイエットが危険なのは体重を基準にするからである。体重を速く減らすには脂肪よりも筋肉を落とす事だ。体重ばかり気にしていると筋肉を減らす方向に走りがちになる。食事を減らすのがその典型である。これは私の経験に基づいている。かくいう私もダイエットのマネゴトをしたことがあるが、その後に必ず太った。食事を抜くと体重は一時的に減るが、そのときに筋肉が落ち、さらに脂肪を貯めやすい体になってしまうのだ。過激なダイエット、無理なダイエットが悪いのではない。ダイエットそのものが悪い。ダイエットすると太る。ダイエットするから太る。

2007/08/23(Thu) 19:41

私は缶コーヒーをよく飲む。最近は休みの日には飲まなくなったが、仕事中には飲む。よく缶コーヒーはまずいとか甘すぎて毒だとかいうが、私は甘いからこそ缶コーヒーを飲む。まずいし甘いのは確かであるが、だからといって缶コーヒーのブラックや微糖は飲めたシロモノではない。私は普段も、インスタントコーヒーには砂糖を入れるが、粉からいれたときにはブラックで飲む。なぜ飲むかというと、缶コーヒーを飲むと、頭が動くようになるのである。糖分が足りないのだろうか。私は一時期朝食を抜いていたが、その時は缶コーヒーが朝食代わりだった。今は一応朝食を取っているが、朝は基本的に苦手でぼーっとしてしまう時が今でもある。そういうときに缶コーヒーはお手軽にきくので愛用しているのである。脳で糖が不足すると筋肉を分解して糖を作るとか聞いたことがある。それは恐ろしい。そんなことになるくらいなら甘い缶コーヒーを飲んだ方がいい。

2007/08/28(Tue) 19:35

ヘルシアを毎日飲んでいる人がいる。効果があるらしい。販売も好調なようだ。もちろん私はそんなものは飲まない。サプリメントも飲まない。プロテインも飲まない。筋トレにも少し後ろめたさを感じるくらいだ。一番いいのは、走る事である。運動量としても多いし、足を使うし、全身を動かすし、もっとも体がリフレッシュする感じがある。寝る前にちょっと筋トレをするのは、簡単だけど。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。