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おいしいもの(4)

31: 2008/01/09(Wed) 19:23
日曜日、久しぶりにビビンパハウスのカルビ麺を食べた。
ビビンパハウスである。断じてビビンバではない。
最高である。750円であの味はすごい。オムニ食堂のユッケジャンよりうまい。
高麗、両班、どっちも敵じゃない。
32: 2008/01/24(Thu) 19:41
私の職場にコーヒーの自動販売機がある。缶コーヒーではなくてちゃんとドリップしてくれるタイプである。先日、ほとんど透明なコーヒーが出てきた。一瞬ボタンを押し間違えたのかと思ったが毎日押しているボタンだし、周りにそんな色の飲み物が出てくるボタンはない。結局故障時の連絡先に電話してお金は返してもらった。多分故障だったのだろうと、違う販売機まで歩いていって買ってきた。それからしばらくしてまた薄いのがでてきた。まだ1ヶ月くらいしかたっていない。前回ほどではないが明らかに薄い。この頻度の高さは単なる故障ではないな、とにらんだ。まず考えられるのは、コーヒーを濃い目にした場合の考慮ミスである。
この販売機ではコーヒー、砂糖、ミルクの量を増やせる。わたしはだいたいブラックでコーヒーの量を最大にして飲んでいる。濃くするのはどうやっているのかわからないが、通常より早く粉がなくなるはずである。この販売機はそれを考慮していないか、考慮しても計算を間違えて、もうコーヒーが出ない状態に達しているのに売り切れランプを点灯できていないのではないだろうか?

そう考えておかしいなと思ったことがある。前回初めて出がらしコーヒーに出くわした時に、違うコーヒーのボタンを押してみたら同じように出がらしだったのである。銘柄が違うのだから、粉も違うはずだ。そうすると粉の残量判定のミスではなく、粉の出口が詰まるなどしているのではないだろうか?
33: 2008/01/27(Sun) 12:10
カルビ麺。うまい。あれを食べると何もかも忘れる。すべてを許せる。
34: 2008/02/01(Fri) 09:56
牛乳をレンジであたため、ネスカフェと砂糖を入れる。最高。
35: 2008/02/16(Sat) 22:30
24時間何も食べていなかったのでさすがに空腹になって中華料理屋に入った。時々行く店で、特にうまいわけではないのだが空腹を満たすにはよい。チャーハンが食べたかったのだがチャーハンがない。チャーハンがない中華料理屋ってどういうこった。本当は北海の味噌ラーメンが食べたかった。あそこのC定食は最高である。味噌ラーメンとチャーハンとザーサイのセットで850円だったかな。辰吉みたいな怖い顔の男が作るチャーハンは絶品である。
36: 2008/02/16(Sat) 22:33
しかし入った店の味噌ラーメンはあまりうまくないことを知っている。麺は太くて固めで好みなのにもったいない。そうそう、この店は麺がよいのである。しかしスープなどがうまくない。
名前は忘れたが辛い麺と、ライスと、そしてなんの躊躇もなく餃子を頼んだ。
37: 2008/02/16(Sat) 22:37
4時ごろだったので店は空いていた。食べていると一人の客が入ってきて、カウンターの一番はじに座った。40代後半くらいの、眼のパッチリしたおっさんである。「何にしようかな・・・」と大きな声で言っている。
そしてさらに大きな声で「絶対に安全な餃子!」と言ってガハハハハと笑った。私は顔を伏せた。注文をとる太った女も厨房にいる二人も、すくなくとも言葉は返さなかった。愛想笑いくらいはしているかなとそーっと厨房を伺うと、二人ともまったくの無表情だった。
38: 2008/02/16(Sat) 22:41
それからその男は、歯が折れてしまって仮の差し歯をしているから堅いものが噛めないなどということを大きな声でしゃべり始めた。なんだか妙なノリである。吉原でいい思いをしてきたようなノリだ。歯の話には注文取りの女も話をあわせて、そうですか、大変ですね、などとあいづちをうっている。瓶ビールを頼んだのだが半分くらいのんでいらなくなった。
お腹も一杯である。食が細くなった。酒ばかり飲んでいる。病気になるぞ。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。