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蓄積毒

08/03/04(Tue) 07:25

昨日テレビである医者が言っていたのだが、人間が一生のうちに摂取できるアルコール量は決まっているそうだ。「蓄積毒」という言葉を使っていた。男で1トン、女性で500Kg だそうである。80歳まで生きるなら1日1合が限度だという。計算してみた。二十歳から80歳まで60年毎日飲むとする。

1000kg / 60年 / 365日 ≒ 0.046 kg
これが1日の上限アルコール摂取量である。
350mlの缶ビールのアルコール量は、350 * 0.05 = 17.5ml
ハイリキは 350 * 0.07 = 24.5ml
上の数字を割ると、缶ビールは2.6本、ハイリキは1.86本となる。
日本酒1合は18度で32.4mlであるから2合は多いことになる。

私の場合、若い頃はあまり飲まなかったけど、最近は上限の倍くらい飲んでいるのではないだろうか。そうなったのはここ、2・3年くらいだから、少し減らせば大丈夫かな。今年は酒を減らして、ランニングを再開して、マラソンにチャレンジすることにした。

というわけで、原則酒は飲まないことにした。飲み会では飲む。むしゃくしゃしたら飲む。眠れなかったら飲む。でも原則、飲まない。帰り道にリキを飲むのは昨日で終わり。まあ、また飲みたくなったら飲んでもいいけど、原則、禁止。今年は、平日朝に走るという新境地に挑んでみたい。

眼がかゆい。花粉症である。しかし今年は症状が弱い。いつもは喉が痛くなるのだがそれは全くない。鼻水も朝少しでたくらい。くしゃみも1日10回もないくらいか。最近はエアコンをほとんどつけていないのと、コンビニ弁当などが減ったのがよかったのか。

08/03/06(Thu) 23:54

体力の低下と回復というのは、暗い洞窟に下りていって途中で引き返すようなものである。入り口の近くであればすぐに戻れるが、深入りすると戻るのに時間がかかり、最悪の場合戻れずにその場で死んでしまう。また、頻繁に行ったりきたりしていれば、どの辺まで行けば大丈夫だというのがわかってくる。しかし、そこで油断をして調子に乗ると思わぬ落とし穴におちてしまう。穴なんか入らないに越した事はない。本当は、洞窟というより、井戸のようなタテ穴に手を突っ込んで戻す程度の感覚である。

08/03/21(Fri) 21:51

夜中に目覚めたときに、何かが体の上にのって、両手を押さえつけられたように感じた。全然動けない。声もでない。久しぶりの金縛りだ。と思ったら、ガタガタガタと戸が揺れる音がした。地震か、と思ったが風のせいであることに気づく。しばらくして体も動くようになる。水を飲んだりトイレに行ったりした後、もう一度寝た。今度目覚めたときには奥歯と胸が痛い。鈍い痛みではあるがなかなか引かない。寝返りをうって横を向いたりうつ伏せになったりしても直らない。起き上がっても直らない。結局30分くらい直らなかったのではないだろうか。いつの間にか寝てしまい、こんど目覚めたときは痛みはなかった。しかし熟睡感がまったくなくて、いつまでも寝ていたかった。

08/03/29(Sat) 00:49

最近風呂に入っていない。2週間は入っていないのは間違いない。今3月28日?3月になって入ったかな・・・記憶にない。シャワーはほぼ毎日浴びてますけど。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。