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おいしいもの(5)

39: 08/04/02(Wed) 20:45
宝焼酎純の25を飲んでいるのだが味もしないし酔いもせず、飲む意味がない。カネが無くて700円くらいで安かったので買ったのだが。
焼酎は味覚的にもよい心地もあまりよくないのであまり飲まない。酒はブルっときたりカーっときたりしないと意味が無い。
40: 08/04/07(Mon) 00:48
最近は外食はほとんどコリアンである。さすがに少し飽きてきて、たまにはチャーハンでも食べてみたいなと思うようになった。よく通る道に中華料理屋がある。新しくてきれいなのだが、なんとなく、うまそうじゃない。しかし、とにかくチャーハンが食べたかったので入ってみた。
とりあえず餃子と春巻を頼んでみた。ビールはすぐ来たがなかなか来ない。少なくとも10分は待った。ようやく餃子が来た。あきらかに冷凍食品である。しかも油でギトギトで、焼きすぎである。冷凍食品でも別にかまわないが、なんでこんなに時間がかかるのか。注文を受けてから買いに行ってきたくらいの時間がかかっている。今まで食べた餃子のなかで、間違いなく最低の味だった。自分で買って来て焼いた餃子よりもまずかった。
41: 08/04/07(Mon) 00:50
肝心のチャーハンは、可もなく不可もなくであった。私が捜し求めているチャーハンではない。もっと、なんというのか、硬くて、しょっぱくて、ある店に行けば食べられるのだが、わけあってその店には行けない。
42: 08/04/13(Sun) 03:11
勇気を出してその店に行った。平静をよそおってCセットを注文した。無愛想な店員であるが、そういう男であることは知っている。むしろ中華料理屋の店員は無愛想であってほしい。彼がラーメンやチャーハンを作る姿は、全く変わっていない。顔は少し老けたかな、という感じがしなくもない。私はこの店には15年くらい前によく来ていたのである。そのときもCセット、味噌ラーメンとチャーハンとザーサイのセットをいつも頼んでいた。味噌ラーメンのスープが心なしか薄いような気がしたが、チャーハンはすばらしかった。このチャーハンである、私が食べたかったのは。だいたいのチャーハンは白くてやわらかくて味がしょっぱいだけなことが多い。ここのチャーハンは、焼き飯という感じである。
43: 08/04/13(Sun) 03:12
しかし酒の飲みすぎと寝不足などから胃にもたれてしまい、しばらく気持ち悪かった。
44: 08/04/13(Sun) 03:15
結局夜まで食欲が戻らず、もりそばでも食べようと、富士そばへ入った。ここもかなり昔から通っている店であるが、最近はあまり行っていなくて、久しぶりである。富士そばでは基本的にもりそばしか食べない。もりそばしか食べられないようなときにしか富士そばにはいかない。普段は特盛なのだが今日は大盛にした。食券を買って黙ってカウンターに置いて席に座った。いつもはそばかうどんかと聞かれるのだが、今日は聞かれずにそばが出てきた。俺もとうとう顔パスになったのか・・・。
45: 08/04/13(Sun) 20:36
2ちゃんねるの確か実況スレだったと思うが、自分は焼肉ではミノとホルモンしか食べないと言ったら、お前は貧乏なんだ世とレスされた。「なんだ世」と。わたしはこのレスに少しショックを受けた。自分では決して安いからミノやホルモンを食べていたつもりなどなかったのだが、確かにカルビは上とか特上とか、一人前で2,3000円するようなものがある。単に脂っこいもの、やわらかいものがあまり好きではないだけのつもりだったのだが、安いというのももしかしたらあったかもしれない。そこで最近はカルビやロースも頼むようになった。だがやっぱり油っこいのが気になるので、いっしょにサンチュセットを頼むようになった。サンチュセットとには、サンチュとレタス(?)と生にんにくスライスと緑のトウガラシがついてくる。レタスで肉とトウガラシとにんにくスライスを巻いて食べる。タレはつけない。これがいい。
46: 08/04/19(Sat) 05:08
健康ブームに物申す。人は食べるものつまり口から入るものによっては穢れない、口から出るものつまり「ことば」で穢れるのである。いい言葉でしょう?誰が言ったかしってますか?Jesusです。やれカロリーだやれプリン体だ添加物だ、油がどうのカプサイシンがどうした脂肪を燃焼させるだのヘルシア緑茶だの黒ウーロン茶だの、サプリメントだのプロテインだの、そんなもの一切いらない。I hate them.私も食事に気を使おうと思うこともないこともないけど、そういうときは体調も悪いし運動もしてなくて酒ばかり飲んでるようなとき、だいたい。
47: 08/04/20(Sun) 11:40
カルビ麺。2時ごろ行ったハウスのカウンターに客は一人もいなかった。珍しい。余裕で食券を買い、悠々と端の席に座って脇のイスにカバンをおいた。出てきたカルビ麺の見た目に感心する。スープの色の赤味加減、油の浮き加減、コショウの振り方加減、メンの透明感、完璧である。今日のはうまいぞ、と食べる前からわかった。食べ終わってふと着ていた白いシャツを見ると、オレンジ色のシミが数個、かなり目だってついていた。そんなことに気づかないほど夢中になってしまったのだ。味は完璧だったが、悲しいことに胃がもたれた。
48: 08/04/20(Sun) 13:46
体調がすぐれず空模様もどんより雨もぱらつく中、ふらっといつも立ちよるコンビニに入った。ビールでもと思って酒コーナーに行くと、見慣れない黒いカンが目に入った。なんとhilikiと書いてある。なんだこれはと手にとって見た。アルコールが9%、高炭酸と書いてある。黒いカンが挑発的だ。私はコンビニにハイリキがあれば必ず買うが、リキがおいてあるコンビニは少なく、そのコンビニも普段は置いていなかった。わくわくしながら飲んでみると、第一印象は宝のカンチューハイのような味だった。ハイリキはレモンがすこし苦いようなエグイような味がし、それがよさでもあるのだが、ブラックリキはすっきりして、レモンスカッシュでものんでいるような軽い飲み口である。アルコールの高さは感じられなかった。
49: 08/04/21(Mon) 19:24
私は部屋に湯飲みやコーヒーカップを置いている。何かしらの飲み物をほとんど常時飲んでいる。自分しか使わないからわざわざ洗うこともない。コーヒーを飲んだカップにそのまま酒を注いだりすることもある。夕べ、コーヒーカップで水を飲もうとしたら、少しのみ残しがあって、よく見るとカビが発生し始めていた。あぶないあぶないと、洗面所で水でざっと流してそのカップで酒を飲んだ。単に飲みすぎただけかもしれないが、起きたら気持ちが悪い。貧血のような感じである。カビのせいだと思えてならない。
50: 08/04/24(Thu) 21:51
父が死んで仏壇を買った。母は毎朝かならず、ご飯をお供えしている。夜もかな。果物もおいてあるし、何か頂き物をしたら必ず仏壇にそなえる。果物や頂き物は食べるが、ご飯はカピカピになるまで供えて捨てているようだ。私はお供え物というのは、本当は食べるものだと聞いたことがある。もったいないから食べてもいいというのではなく、是非食べるべきだ、というのである。というわけで、夕べ食事のとき一人だったので、ビールをグラスについてお供えし、5分くらいたってそれを頂いた。別に普通の味であったが。何もいいこともないが。私は人は死んでこの世からいなくなってもどこかに存在しているとずっと思っていたのだが、父が死んでからはその確信が揺らいだ。死んでも見守ってくれているなどと感じないし、きっと天国で静かにすごしているとか、私たちを見守っているとか、そんなことも感じない。逆に、もしどこからか今の私の生活を見られているとしたらぞっとする。

お供えを食べるといえば、以前雑司が谷墓地に行ったときに恐ろしい光景を見た。墓地に暮らすホームレスである。確かに墓地は静かで落ち着くというのはあるが、暮らすとなると話は別だ。そのホームレスは女だったような気がする。彼女は墓の供え物をあさって食べていたのだ。地獄絵図だ。駅やコンビニのゴミ箱をあさるのとはわけが違う。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。