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マラソンチャレンジ再開するが・・・


08/03/01(Sat) 17:02

およそ半年たってしまった。久しぶりにスニーカーをはいてスタート地点へ歩いていくとき、太ったというよりも、筋肉が溶けてしまったような感覚があった。走り始めたとたんに左ひざが軽く痛む。なんとか大丈夫そうだ。どこまでいけるのか全くわからない。ある人が10Kmを1時間で走ることを目標にしている人がいたのを思い出し、俺はそんなもんじゃないぞと奮い立たせた。よーしそれを上回るペースで走ってやろうかと思う。

最初の1Km は5:30であった。意外といける。しかしすでに呼吸が荒れている。フォームもガタガタなのがわかる。しかし今までの経験にささえられてそのままのペースで走り続けた。橋の上に出ると強風が斜め前から吹きつけてくる。ハァ!ハァ!と声が出る。もうなりふり構わず走る。心臓がどうにかなるんじゃないかと思う。あと1Kmが果てしなく遠い。しかし時計を見て、5:30ペースは守れると確信する。

今までに味わったことのない疲労の仕方であった。じっとしていられないのでさらに500mくらい先にある公園まで歩いていった。そこに野球場、テニスコートがあり、それぞれ利用者がいた。その隣に広場があって、奥にサッカーゴールを模していると思われる壁があった。ここで壁当てをしたいなと前から思っていたのだ。サッカーではなく、野球の。

なんとか体力が回復して、帰りは追い風に乗って爽快に走れた。走った後素振りをすると、空気を切り裂くシュン!というスイングができて満足する。


08/03/04(Tue) 07:38

というわけで、マラソンチャレンジを再開します。長期計画で行きます。今年の秋から、ハーフ1回の後フルを走ります。手賀沼&つくばか、手賀沼&サンスポ&荒川か。ゲンのいいつくばにするか、惨敗した荒川で雪辱を果たすか。

1年くらいありますが、そんなのあっという間です。今回は練習で40Km走をやりたい。そこで最低4時間を切っておく。目標は、200分。3時間20分。つまり1km5分ペースで40kmを走るのである。それができれば3時間半前後で走れる。

筋肉痛がひどい。まだ直らない。

右ナイテンが痛い。今朝歩いたら急に痛みを感じた。家の中では気づかなかったが、自転車を降りて歩き出したら昨日までの筋肉痛はほとんどなくなっていたが右のナイテンだけが痛い。しかも筋肉痛というよりもいためてしまったような痛みである。こんなところが痛んだのははじめてである。どうも、走っているときに傷めたのではなく、筋肉痛で変な歩き方をしていたために痛めたような感じがする。これでは今週末走れないかもしれない。

08/03/11(Tue) 20:28

夕べはくたくたで9時ごろ寝てしまった。目覚めると外は白み始めていた。しばらく目をつぶっていたがもう眠れそうにないので、部屋の電気とPCをつけた。新しく買ったドライブをつけて、使っていたものはXPにおさがりとした。P2Pで落としたリージョン2のDVDを見たかったのだ。しかしXPはそのディスクを空であると認識している。後で調べてみよう。何気なく尾崎のDVDを見た。やっぱりいい。元気が出てきて、走ることにした。平日の朝に走るなんていつ以来だろう?入社したての頃、一時的にそんなことをしていたこともあったっけ。外は濃霧で100m先も見えない。5kmは無理そうだったので3kmにした。

08/04/26(Sat) 07:46

往路3kmを 18:10
復路2Kmを 10:15 (5:30 + 4:45)

体重 66.5kg
体脂肪率 22.2%

軽い腰痛発生


(結局マラソンは走らず)

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。