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おいしいもの(6)

51: 08/05/04(Sun) 02:11
辛ラーメン(ラミョン)うめえ!
最近カップラーメンにこってます。
52: 08/05/04(Sun) 02:12
メンはダメだけどね。スープがね。これはもう、参ったね。
53: 08/05/04(Sun) 11:08
カクヤスで105円で叩き売られていたのを一個だけ買ったんだけど、今日買いだめしてくるわ。
54: 08/05/05(Mon) 12:08
このところなんだか残便感がある。こういうときは、あっつい、モヤシのたくさん入った、ふとメンのラーメンなどを食べると、爽快な脱糞ができることを思い出し、そういうラーメンが食べられる店に行こうと決めていた。さいきんはこじゃれた気取ったラーメン屋が増えて、昔ながらの汚い、無愛想な店員のいる、スポーツ新聞や漫画週刊誌をみながら気軽に食べられるような、赤地に白もしくは黄色地に黒もしくは黄色地に赤字にラーメンもしくはらーめんと、毛筆体か何の変哲も無いゴシックの看板を出しているような、そんなラーメン屋が減った。行列ができていたり薄暗くて照明を小細工していたり、最近流行のサカキバクザン風というかあいだみつを風というかヘタウマというか、わかるよね?あの字体で、名前もなんだ、サントウカだのクウカイだの何屋だかよくわからなくて店員もこざっぱりした清潔な割烹着みたいの着ちゃって禁煙だの言ったり味のわかんねえやつは来るなみたいな神経質そうな店が増えた。「らーめん」または「ラーメン」と、ドンと大書した看板を掲げているような、そんな店に行きたかった。
55: 08/05/05(Mon) 12:10
そして思い出したのが、日暮里駅近くにあるDという店である。その店はラーメン屋ではなくて中華料理屋であるが、気取らない、ビールと餃子と+何かを頼んで、テレビでナイターをやっていたりスポーツ新聞がおいてあるような、荒川区的ないい感じの店であった。もう数年行っていなかった。
56: 08/05/05(Mon) 12:18
まず、日暮里駅がすっかり見違えていた。なにやら舎人ライナーなどという新線ができている。あまりなじみは無いがなんとなくあの辺かなというような所に停車している。そして、駅を出たら、きれいなビルがドーンと建っている。ついこないだまで、天津甘栗の店が出てたり、自転車が放置してあったり、ピンサロとかラブホテルとかあった場所に、きれいなショッピングモールができていた。えー!っと声に出してしまうくらいに。そして、わたしの目指しているDという店があったところにもビルが建っていたのだ。私は呆然と立ち尽くした。日暮里が・・・俺の思い出の地日暮里も変わっちまった・・・Dは店を売ってどこかに移ったのだろうか、前の店があったところはどうなっているのだろうと歩いて行った。おしゃれなお店の名前が並んでいる、と、1FにDの名前があった。そう、そのビル内でまだ営業していたのである。ビルに入っていくと厨房でなにかを炒めるジャーという音が聞こえてきた。反対側にでてみると、あのコ汚かった店がきれいになって、広くなって営業していた。客もたくさん入っている。客層もおっさんや孤独な学生だけでなく、女性や家族連れも多い。
57: 08/05/05(Mon) 12:26
注文取りもオバサンじゃなくて若い女性になっていた。えらい混みようで調理人の店長のような人も注文を取っている。顔はおぼえていないが多分以前からの人だ。私はビール+餃子+タンメンを頼んだ。こりゃ時間かかるなと思ったが意外にすぐに出てきた。まあもともと絶品というほどの味ではなく普通の中華料理なのであるがたいした代物ではなかった。しかし、なんとなく店がきれいに、でかくなって味が落ちたように、雑になったように思えてならなかった。とくに餃子は、最近中華料理屋で餃子をたのむといつもそうで不思議なのだが、焼きすぎで油ベトベトであった。私はビールを中ビン一本飲むと腹がパンパンになってしまう。みんなそうなのだろうか?店をでて日暮里からグリーン車に乗って帰った。日曜日であるがあと二日休みがあるから、いつもの寂しい日曜の夜ではない。しかし、今回の連休はなんだか心が躍らない。天気が曇りがちなのもあるだろうし飲みすぎや生活の乱れで体調がいまいちなのもあるし仕事がつまらなくて将来が不安なのもあるだろうが、やっぱり5日働いて、週末の二日に爆発するように遊ぶ、それが楽しいのだ。テレビも普段のレギュラー番組のほうが面白い。そして日曜日でないとみられない喉自慢やショウ点なども、日曜だから面白いのだ。木金はつまらなかった。今日は月曜日。今日もなんだかつまらない。これから出かけようか。モデルガンを買うか。おいしい餃子をだしてくれそうな昔ながらの中華料理屋をさがそうか。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。