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おいしいもの(7)

58: 08/06/29(Sun) 22:56
二日連続でインドカレー屋へ行ってナンを食べた。
ほんとうにうまかった。
エスニックなものが大好きだ。
59: 08/06/30(Mon) 23:38
yという新宿の店に入った。ここは外から中が見えるのですいているのを確認して入れる。一人で入るような店ではないので、混んでいるときは遠慮して、時間帯をずらして入る。

その日は日曜の夕方だったのでダメかなと思っていたのだがのぞいてみるとガラガラだった。
ラッキーと思ったが、その後なぜそんなにすいていたのかがわかっていく。

メニューを開くと、価格が高い。高麗の3割増しくらいかな。肉はみな1300円前後である。そして注文は2人前から、とある。つまり最低2600円かかるということである。

2人前くらい食べられないことはないだろうが、2種類頼んで合計4人前になったらちょっと自信がない。最近は小食な上にその日はそんなに空腹でもなかった。

というわけで1品を2人前だけにする。サンチュを頼んだが、高麗などのようにトウガラシとニンニクはついてこない。肉は解凍しきっていずコチコチのままでてくる。

味は悪くはないがいい気分ではない。
60: 08/07/15(Tue) 01:40
休日出勤すると、今の職場には何もないから、自動販売機の飲料くらいしかないから、朝コンビニで昼食を買うわけだが、だいたいおにぎりを買う。しかしまあ、最近のコンビニのおにぎりの具のバリエーションに富んではいるものの食欲をそそらずに邪魔なだけなのはまるでお笑い芸人のようだね!

おにぎりにマヨネーズいれてるやつ今すぐここにつれて来いよ、300円とかするおにぎり企画したやつ今すぐ電話しろよ、そんな気持ちになるんだよ。

梅干、おかか、シャケ、赤飯、そんなのを選ぶ。決して安いからではない。
61: 08/09/14(Sun) 23:41
テレビのCMで知ったのだが、ネスカフェの詰め替えパッケージが出たらしい。
たいしたことではないが、画期的だ、確かに。
62: 08/09/22(Mon) 21:03
私は最近、昼食に食べる弁当に入っている梅干の種を噛み砕いて食べている。もしかしてあんまり体によくないのかなと思って調べてみたが、はっきりした根拠はないがあんまりよくないらしい。何で種まで食べるかというと、もったいないとかおいしいとかいうのとは、ちょっと違う。マラソンランナーの高橋尚子が、鶏肉は骨まで食べるというのを聞いたことがある。骨髄みたいなものが好物なのだそうだ。ちょっと気味悪かったのだが、気持ちはわかる。なんというのだろう、骨までしゃぶる、種まで食べるというのは、それほどおいしいとか飢えているわけではない。探究心というか、潔癖症というか、神経症に似たものがある。
63: 08/09/28(Sun) 19:01
さっきピスタチオを買ってきた。カラを割って食べるときに薄皮などがちょろちょろ落ちるので何か敷いておかないといけない。
ピスタチオを食べていると、私が社会人になりたての頃のある出来事を思い出した。
私は湯島に事務所がある会社にいて、日本橋にある客先に毎日のように通っていた。
その客先にいる、顧問というか相談役というか、そういう人がいて、皆に先生と呼ばれていた。とても気さくで、私とは直接仕事の話をすることもなかった。
あるとき、その先生がピスタチオが好きだという話をしていたので、私はある日、アメ横の二木の菓子でピスタチオを買って持っていった。

先生はありがとうと喜んでくれたが、その客先の課長がピスタチオを食べながら言った。
「もっとうまいの買ってこいよ」
「二木の菓子なんかでおみやげ買ってきたヤツは初めてだ」

笑いながらではあったが、私はまさかそんなことを言われるとは予想もしていなかった。
とてもいいことをしたつもりでいたのに。
64: 08/09/29(Mon) 20:16
断酒して5日たった、土曜日。外出したが、体調がおかしい。まず、腹がパンパンにはっている。食欲もない。あるものを買おうと思ったのだが、上野の電器屋になく、秋葉原へ行って何軒か探したが、結局見つからなかった。歩き回っても食欲もでてこないし気分も晴れない。上野へ引き返して、どこかで食事をしようと思うがどの店も、なんか違うという気がして入れない。結局入ったのは、以前この辺に勤めていたときに昼食を食べたこともある居酒屋であった。

煮込みを頼むと、おわんのふちにカラシがついている。煮込みにカラシ?おでんじゃないんだから・・・と無視して食べる。串焼きを追加で頼むと、またカラシが付いてきた。何かい、おたくの店はカラシがあまってしょうがないのかい?と言いたいくらいだった。もう一品頼んでいたさばの塩焼きには、さすがにカラシはついていなかった。どれも味はどうってこともなく、ビールをいっぱい飲んで早々に引き上げた・・・

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。