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おいしいもの(8)

65: 08/10/08(Wed) 21:39
セブンイレブンで買った「明太子パスタサラダ」295円、302Kcal、マジうまい。
保存料・合成着色料不使用。
66: 08/10/14(Tue) 22:00
サムゲタンを食べた。ビピンパハウスで。1450円だったかな。
噴火口みたいに煮え立った鍋で出てきた。味はほとんどなくて、塩で食べた。
鳥の骨まで食べられた。サムゲタンは新宿で以前一度食べたことがあるが、その後とても元気になった記憶がある。
今回は泥酔といっていい状態の上、体調は悪すぎて、あまり効かなかった。
店によって全然違いますね。
67: 08/10/21(Tue) 03:37
高麗でも食べてみた。こちらは煮立っていない。上品な感じだった。特にうまくもなかった。大久保に有名なサムゲタン専門店があるらしいのでこんど行ってみたい。
68: 08/10/24(Fri) 07:52
最近食品に農薬だのなんだのが混入しているという事件が相次いでいるが、お弁当のご飯が、ときどきガスみたいな味がすることがある。お弁当ではないが自宅で鶏肉を食べていたときにも、ガスのような味がしたことがある。これもきっと、農薬ではないにしてもなんらかの薬品が、ちょっと多めに入っちゃった、ということなのだと思う。

それによって体調がどうこうということはないが、倦怠感、下痢、頭痛、不眠、精神錯乱的なものは酒やストレスなどにより日常茶飯事なので、よっぽど強烈な症状がでないと気づかない。
69: 08/10/24(Fri) 08:00
ネスカフェの詰め替えパッケージを買ってきた。80gで、500円もしなかったと思う。100gのビンって確か800円くらいじゃなかったっけ?
ただ、割安であるかどうかはそんなに重要じゃない。ネスカフェの空き瓶は捨てるのにちょっと躊躇する。わたしの母は漬物をいれたりなんだり、まず捨てることなく再利用している。

詰め替えるのがまた楽しい。思わず笑ってしまった。
70: 08/10/26(Sun) 23:30
セブンイレブンで明太パスタサラダを買うのを楽しみにしていたのに売り切れだったので鶏肉のサラダ風のを買ってみたがたいしたことはなかった。
71: 08/10/27(Mon) 06:05
電車の中で熟睡してしまったせいだろうか、3時ごろ目がさめて眠れなくなった。2時間くらい目をつぶって眠ろうとしたが気が狂いそうになったのでパソコンをつけて、ズリセンをこいた。
するとなんか少しスッキリしてトイレにいって手をあらって、もう5時すぎなのにビールを飲んだ。スーパードライは落ち着く。お茶のようだ。

あと2時間ほど、眠れる。
72: 08/11/03(Mon) 20:04
久しぶりにチャーハンを作った。
冷凍のスパゲティでも食べようと思ったがなにもなく、冷や飯が二膳分くらい残っていたので、チャーハンを作ろうと思い立った。
用意するものはあと、卵ひとつとねぎ1本。卵は溶いておき、ネギはそばの薬味にいれるような感じで適当に刻む。
フライパンをあたため、サラダ油を入れる。まず、卵をいれていり卵にし、いったん出す。
つぎにネギをいためて、ご飯を入れる。塩・コショウを振って、さいごにしょうゆをたらしておしまい。

うまかった。
73: 08/11/03(Mon) 20:05
だが中華料理屋で食べるうまいチャーハンとはぜんぜん味が違うので何が違うのかと調べてみると、どうやらラードを使うと違うらしい。
74: 08/11/10(Mon) 23:58
そういえば焼きそばを作るときに、サラダ油ではなく豚肉の脂身を使うと全然味が違うのを思い出した。
75: 08/11/25(Tue) 03:52
なんだか破壊的な食欲を感じて焼肉屋へ行った。上野駅の近く、高速道路を越えた浅草よりの一角に、焼肉街がある。
その中でもちょっと品のよい感じの店に入る。若い夫婦と子供の客がいた。一人というと快く笑顔でそちらへどうぞと応対してくれる。いい店だ。ハラミとミノを頼む。足りない。カルビとロースを追加。ペロリと平らげる。
ちょっと辛いもので締めたいと思い、隣の店に入る。焼肉店のはしごなんて初めてだ。ユッケジャンを頼む。あまりおいしくない。米が膨張してなかなか減らない。なんとか食べきって店を出る。雨が降って足がぬれている。不思議な休日だった・・・。
76: 08/11/25(Tue) 04:15
その店には、創業当時の店の古い写真が飾ってある。昭和25年だそうだ。東京の見慣れた街の古い写真というのはとてもいいものである。昭和25年というと、戦後5年たった頃だ。焼肉屋というのは、いつごろから日本に広まったのだろう?私が初めて焼肉を食べたのは大学生になった頃かな。それまでは焼肉屋というものの存在すら知らなかった。
カルビ、クッパ、コムタン、ユッケなど、意味のわからない言葉が並んでいて戸惑ったことを覚えている。
私には、焼肉というのは80年代後半くらいからちょっとしたブームになったようなイメージがあるのだが・・・昔からあったのだろうか、焼肉屋というのは。
77: 08/11/25(Tue) 04:27
私は焼肉を食べるときにタレをつけない。
サンチュを頼んで巻いて食べる。青い唐辛子とニンニクがあると最高である。私の知っているある店では、サンチュを頼むと青唐辛子と生ニンニクの切り身がついてくる。肉+サンチュ+唐辛子+ニンニク、この組み合わせが最高である。肉はハラミが一番いいかな。
この食べ方を覚えて以来、私は焼肉にタレをつけなくなった。

タレとかソースとか、ちょっと甘辛いようなもの、そういうものは子供の喜ぶ味覚である。
オトナは、ピリっと辛かったり、苦かったり、歯ごたえがあってシャキシャキしているもの、
そういうものを好むのである。

酒も然り。甘かったりフルーティだったりするものなど、女子供のたしなむものである。
オトナの男は、無色透明で効率よく酔える、高アルコールな飲料を流し込むように飲み、たわいもない話を際限なく繰り広げるべきなのである。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。