創業

最近日経新聞を取り始めた。相変わらずつまらない新聞だが、文化欄の私の履歴書に、ドトールコーヒーの会長さんだかなんだか、創業者が登場している。苦労して理想を高くもって新しいコーヒーショップを創りあげた、まさに「創業」した話には感心する。一体何がこの人を駆り立てているのだろうと不思議に思うくらいだ。サラリーマンがうつむいて出勤する姿を見て、コーヒーを飲ませてあげたいとか、友達を作るつもりで客に接するとか、そういう、お客様に対する思いということを、最近身の回りでほとんど聞かなくなった。やれ景気がどうの政治がどうのという事ばかりで、サービスを享受する客がいて初めて会社がなりたち社員の生活が成り立つということを忘れている人が多すぎる。

湘南walkin' 5 ウグイス

ウグイスが鳴いてた。
姿は見えなかったがムービーモードで鳴き声をとった。

ウグイスの声

もう春だぜ。


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茅ヶ崎駅前の表示があったので陸へ入る。

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花屋さんの店頭で。
商品を撮るのはアレだが、あまりにきれいだったので・・・
撮って歩き出すと、外出していた店員さんがちょうど帰ってきてばったり。
ちょっと気まずい感じになったが「いらっしゃいませ」と言ってくれた・・・

茅ヶ崎の南口前のとおり沿いにある花屋さんです。

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藤沢駅をスタートしたのが12:10頃、
茅ヶ崎に着いたのが15:00頃。
約3時間・・・。

今度茅ヶ崎の南に引っ越そうかな・・・。


湘南 walkin' 4 烏帽子岩とヘッドランド


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渡ろうと思ったがなんだか嫌な予感がしたのでやめた。
と、看板があった。きっと落ちる奴がけっこういるんだろう。


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こういう自転車が多い。
そんで横にサーフボードを乗せる器具が付いている。
車道を走るときにちょっと気になる。
後ろから上に、オナガザルの尻尾のように付けたらどうだろう?

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ヘッドランドという、烏帽子岩のあたりにある出っ張り。
人工物のようだ。
ただの出っ張りに見えるが、その周辺は危険らしい。


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烏帽子岩。
当然、頭の中にチャコの海岸物語がリピートする。


湘南 walkin' 3 砂に書いたラブレター


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砂に書いたラブレター I love ????

波に消されて読めない・・・


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ヒトデが落ちていた。
写真にするとちょっとグロい。



湘南walkin' 2

ここのところ雨が続いて昨日なんかすごく寒かったけど
今日はようやく晴れて、歩き続けると暑くなってきた。

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湘南工科大学という大学の前を過ぎてちょっと行くと・・・・



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海岸に到着。江ノ島が見える。
やっぱり海はいいね。やなことふっとぶね。


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右手、西のほうの海中に尖った小さな出っ張りが。
これが烏帽子岩か。

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我鳴き濡れて鳩とたはむる

トビもいたけど、片瀬海岸のあたりほどではない。
この辺の海岸沿いにはあまり店などがなく、
すっきりした海岸である。


湘南walkin'

今日は藤沢から辻堂、茅ヶ崎を歩いてみた。


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富士見橋とかいう橋。


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吾妻鏡 実朝の最期

太宰治の「右大臣実朝」にも引用されていた。

行列のメンバーの部分は省略。



建保七年・正月二十七日


廿七日 戊子 入夜雪降、積二尺餘。今日將軍家
右大臣爲拜賀、御參鶴岳八幡宮。御社參、酉尅。御出
行列、

(略)

令入宮寺樓門御之時、右京兆、俄有心神御違例事、
譲御劔於仲章朝臣、退去給、於神宮寺、御拜脱之後、
令歸小野御亭給。及夜陰、神拜事終、漸令退出御之
處、當宮別當阿闍梨公暁、窺來于石階之際、取劔奉
侵承相。其後隨兵等、雖馳駕于宮中、〈武田五郎信光、進先登。〉
無所覽讎敵、或人云、於上宮之砌、別當公暁、討父敵

之由、被名謁〈云云〉。就之各襲到于件雪下本坊。彼門弟
惡僧等、籠于其内、相戰處、長尾新六定景子息、太郎
景茂、同次郎胤景等、諍先登〈云云〉。勇士之赴戦場法、以
為美談。遂悪僧敗北、阿闍梨、不坐此所給軍兵空退
散、諸人惘然之外無他。爰阿闍梨、持彼御首被向于
後見備中阿闍梨之雪下北谷宅。羞膳間。猶不放手
於御首〈云云〉被遣使者弥源大兵衛尉〈阿闍梨乳母子〉於義村、
今有将軍之闕吾専当、東関之長。早可廻計議之由
被示合。是義村息男、駒若丸、依列門弟云、恃其好之

故歟。義村、聞此事。不忘先君恩化之間、落涙数行、更
不及言語小選先可有光臨于蓬屋。且可献御迎兵
士之由申之。使者退去之後、発使者、件趣、告於右京
兆〈云云〉。無左右、可奉誅阿闍梨之由、下知給之間、招聚
一族等、凝評定。阿闍梨者、太足武勇、非直也人。輙不
可謀之。頗為難儀之由、各相議之処、義村、令撰勇敢之
器。差長尾新六定景於討手。定景、遂〈雪下合戦後、向義村宅〉不

能辞退、起座、着黒皮威甲、相具雑賀次郎〈西国住人、強力者也。〉
以下郎従五人、赴于阿闍梨在所、備中阿闍梨宅之
刻、阿闍梨者、義村使、遅引之間、登鶴岡後面之峰、擬
至于義村宅。仍與定景相逢途中。雑賀次郎忽懐阿
闍梨、互諍雌雄処、定景、取太刀、梟阿闍梨〈着素絹衣腹巻之上〉
首。是金吾将軍〈頼家〉御息、母賀茂六郎重長、〈為朝孫女也。〉公
胤僧正入室、貞暁僧都、受法弟子也。定景、持彼首、帰
畢。即義村、持参京兆御亭、々主出居、被見其首。安東
次郎忠家。取指燭。李部被仰云、正未奉見阿闍梨之
面、猶有疑胎〈云云〉。抑今日、勝事兼示。爰異事非一、所謂、
及御出立之期、前大膳大夫入道參進申云、覺阿成
人之後、未知涙之浮面、而今、奉眤近之處、落涙難禁
是非直也事、定可有子細歟。東大寺供養之日、任右
大將軍御出之例、御束帶之下、可令著腹巻給〈云云〉。仲
章朝臣申云、昇大臣大將之人、未有其式〈云云〉。仍被止
之。又公氏、候御鬢之處、自抜御鬢一筋、稱記念賜之。
次覽庭梅、詠禁忌和歌給。
 出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ、軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ
次御出南門之時、靈鳩頻鳴囀、自車下給之刻、被突
折雄劒〈云云〉。又今夜中、可紀阿闍梨群黨之旨、自二位
家、被仰下。信濃國住人、中野太郎助能、生虜少輔阿
闍梨勝圓、具參右京兆御亭。是爲彼受法師也〈云云〉。



鶴岡八幡宮にて、雪の降る夜のこと。

二尺あまりというと、60センチ以上か、大雪だ。


「父の仇を討つ」と言ったとか、「食事の間も首を手放さなかった」という記述がある。


省略してしまったが大変な人数が参列していたのに、

殺すことはできたとしても、首まで持ち去ることなど可能なのだろうか。

みんな逃げてしまったのだろうか?






吾妻鏡 頼朝の死

それでは頼朝の死の記述を見てみよう。


建久10(1199)年1月13日・・・無い。

建久6年12月22日~10年2月6日の記述が無いのである。


「吾妻鏡には落馬が原因で亡くなったとある」とあちこちに書いてあるが、

その記述は、1221年つまり死後12年たった時のものなのである。


建暦二年・二月二十八日


廿八日 乙巳 相摸國、相摸河橋、數箇間、朽損。可
被加修理之由、義村申之。如相州廣元朝臣善信、有
群議。去建久九年、重成法師、新造之、遂供養之日、爲
結縁之、故 將軍家渡御、及還路、有御落馬、不經幾
程、薨給畢。重成法師、又逢殃。旁非吉事。今更強雖不
有再興、何事之有哉之趣、一同之旨、申御前之處、仰
云、故 將軍薨御者、執武家權柄、二十年。令極官位
給後、御事也。重成法師者、依己之不義、蒙天絶歟。全
非橋建立之過。此上、一切不可稱不吉有彼橋、爲二
所御參詣要路、無民庶往反之煩、其利非一、不顛倒
以前、早可加修復之旨、被仰出〈云云〉


ここに確かに「故 將軍家渡御、及還路、有御落馬、不經幾程、薨給畢

と書いてある。


この話の意味だが、多分、こういうことだ。


相模川の橋が古くなって壊れてきたが、

この橋は頼朝が亡くなったきっかけとなった不吉な橋だから、

修理しなくてよいのではないかと、天皇に申し上げたところ、

天皇がそれは偶然だ、橋は有用だから早く治しなさい、

と仰せられた。



このときの天皇は順徳天皇、将軍は実朝の次の・・・

と思ったらなんと不在。

4代将軍は藤原頼経なのだが、1219年で2歳で、

元服した翌年の嘉禄元(1226)年に将軍となるまで、

将軍は不在だったそうだ。



吾妻鏡 腰越状

壇ノ浦の合戦後、鎌倉入りしようとして腰越に留め置かれたときに、

頼朝に出したという手紙、いわゆる「腰越状」。

このときはまだ伊予守ではないので「源廷尉」となっている。

検非違使のことか?


元暦二年・五月二十四日


廿四日 戊午 源廷尉〈義經〉、如思平朝敵訖。剰相
具前内府、參上。其賞兼不疑之處、日來依有不儀之
聞、忽蒙御氣色、不被入鎌倉中、於腰越驛、徒渉日之
間、愁欝之餘、付因播前司廣元、奉一通款状。廣元、雖
披覽之。敢無分明仰、追可有左右之由〈云云〉。
彼書云

 左衛門少尉源義經、乍恐申上候。意趣者、被撰御
 代官其一、爲 勅宣之御使、傾 朝敵、顯累代弓
 箭之藝、雪會稽耻辱。可被抽賞之處、思外依虎口
 讒言、被黙止莫太之勲功、義經無犯而蒙咎、有功
 雖無誤、蒙御勘氣之間、空沈紅涙。倩案事意、良藥
 苦口、忠言逆耳。先言也。因茲、不被糺讒者實否、不
 被入鎌倉中之間、不能述素意、徒送數日。當于此
 時、永不奉拜恩顔、骨肉同胞之儀、既似空。宿運之
 極處歟。將又感先世之業因歟。悲哉此條、故亡父
 尊靈、不再誕給者、誰人申披愚意之悲歎、何輩垂
 哀憐哉。事新申状、雖似述懐、義經、受身體髪膚於
 父母、不経幾時節、故頭殿御他界之間、成孤。被抱
 母之懐中。赴大和國宇多郡龍門之牧以來、一日
 片時不住安堵之思、雖存無甲斐之命、京都之経
 廻難治之間、令流行諸國、隠身於在々所々、爲栖
 邊土遠國、被服仕土民百姓等。然而幸慶忽純熟
 而爲平家一族追討、令上洛之手合、誅戮木曽義
 仲之後、爲責傾平氏、或時峨々巖石策駿馬、不顧
 爲敵亡命、或時漫々大海、凌風波之難、不痛沈身
 於海底、懸骸於鯨鯢之腮、加之爲甲冑於枕、爲弓
 箭於業。本意併奉休亡魂憤、欲遂年來宿望之外、
 無他事。剰義經、補任五位尉之条。當家之面目、希
 代之重職、何事加之哉。雖然今愁深歎切。自非佛神
 御助之外者。爭達愁訴、因茲以諸神諸社牛王寳
 印之裏、不插野心之旨、奉請驚日本國中大小神
 祇冥道、雖書進數通起請文、猶以無御宥免。我國
 神國也、神不可禀非禮、所憑非于他。偏仰貴殿廣
 大之御慈悲、伺便宜。令達高聞被廻秘計、被優無
 誤之旨預芳免者、及積善之餘慶於家門、永傳榮
 花於子孫、仍開年來之愁眉、得一期之安寧、不書
 盡愚詞、併令省略候畢。欲被垂賢察義經恐惶謹
 言
  元暦二年五月日
     左衛門少尉源義經
 進上 因幡前司殿

本当にこんな手紙を書いたのか真偽が疑わしいそうだが、

そもそもこのころ手紙は漢文で書かれていたのか?

かな文字なんか武士は使わなかったのか?

それはともかく、こんな手紙が公開されるだろうか?




吾妻鏡 義経の最期

義経が死んだときの記述。


文治五年・閏四月三十日

卅日 己未 今日於陸奥國、泰衡襲源豫州。是且
任勅定、且依二品仰也。豫州。在民部少輔基成朝臣
衣河舘。泰衡從兵數百騎、馳至其所、合戰。豫州家人
等、雖相防、悉以敗績。豫州入持佛堂、先害妻〈廿二〉子、
〈女子四歳〉次自殺〈云云〉。


短い。2ちゃんねるのレスみたいだ。


義経は「豫州」と書かれている。

伊予守だったかららしい。


首実検。

死んでから1ヶ月半たっている。


文治五年・六月十三日

十三日 辛丑 泰衡使者、新田冠者高平、持參豫
州首於腰越浦、言上事由。仍爲加實檢、遣和田太郎
義盛、梶原平三景時等於彼所。各著甲直垂、相具甲
冑郎從二十騎、件首納黒漆櫃、浸美酒、高平僕從二
人、荷擔之昔蘓公者、自擔其■、今高平者、令人荷彼
首。觀者皆拭雙涙、濕兩衫〈云云〉。


漆のハコに酒漬けにされていたそうである。

「腰越浦」。あの腰越海岸か・・・

やっぱり俺は義経に呼ばれてるな・・



吾妻鏡

図書館なんて最近すっかり行かなくなっていたのだが

吾妻鏡を探しに行った。


鎌倉のあちこちへ行くと常に「吾妻鏡には・・・」とある。

もう、必携の書である。


が、結局見つからなかった。

検索すると在庫しているとあるのだが、実際に棚を探してみると無い。

義経記はあったのだが。


貸し出し中だったのかな?

吾妻鏡なんかを借りる人がそんなにいるとは思えないのだが・・・


買おうかなと思ったのだが、どうも手軽に買える様なものがない。

訳されているのは嫌で、原文が読みたい。


岩波文庫で去年復刊したらしいが、なんと未完。

まあ、実朝が死ぬところまでくらい読めればいいんだけど、

どうせなら、一応全部持っておきたい。


WEBで公開している人もいるんだけど、

やっぱり、紙に印刷した縦書きのものが読みたい。



義経

私は日本史が苦手だった。

苦手というか、なんのために日本史なんか学ぶのか意味がわからなかった。

特に、武士が「戦い」によって「東国支配」だの「全国統一」だのすることが、

まったく理解できなかった。


戦国時代の武士たちの戦いとは、一体どういうものだったのか。

大河ドラマなどで、馬に乗りよろいを着て刀をもった武士たちが、

ワーワーわめきながら刀で斬り合っている絵はわたしももちろん見たことがあるが、

本当にあんな戦いをしていたのだろうか?


わたしは勉強はもちろん、大河ドラマをはじめとする時代劇も大嫌いだった。

子連れ狼、破れ傘刀宗などは例外であるが。


誰も鎌倉時代の戦を見たものはいないのである。

絵や伝聞から想像しているにすぎない。


さて、義経であるが、彼は失敗者である。

一般的には、彼は戦功をあげながらも頼朝が警戒や嫉妬から彼を失脚させたとか、

他の御家人達の反感を買って、いわれのない冷遇を受けたという見方のようである。


しかし、私はやはり義経にも落ち度があったのではないかと思う。

そしてそれは、

彼が父の仇を討つという私怨に基づいて平家と戦っていた、

このことが彼の人生を失敗させた根本的な原因ではないかと考えた。


父を殺されたこともそうだし、おそらく子供の頃はつらい毎日を過ごしただろう。

それを動機として彼は武芸に励んで戦でも超人的な力を発揮したのではないだろうか。

しかし、そういう私怨から生まれる行動は周囲との和を乱し嫉妬を買うものである。


Wikipediaを読んでいてこれだ、と思ったのが、安徳天皇を自殺に追い込んだ、という記述である。


頼朝は、朝廷を敬っていたのではないか。

利用していたというのが普通の見方で授業でもそういう風に教わるが、本当にそうだろうか?

武士というのは、そもそもはボディガードのような存在だったのではないか。

それが活躍の場を増やしてだんだん権力を持っていった。


なかにはただの戦闘マシーンのような武士もいただろう。

しかしそういう武士は将軍にはなれない。


義経にはそういうところがあったのではないだろうか。


そして、信長も。



いざ鎌倉 7 義経・・・

またおみくじをひくと、吉であった。

しかし、その番号を見て驚いた。

八幡宮と同じ、また49番だったのである。

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義経が俺を呼んでいる・・・

なんだか薄気味悪くなってきた。

神社を出ようとすると、カップルが手水していた。

カップルで来るような神社じゃないぜ・・・


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帰り道、義経の首をあらったとかいう井戸を見ていく。

左側にあるのは交番で、そのわき道を入ったところにある。

あまりに細い道で看板もなにもないので通り過ぎてしまった。



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義経・・・・

無念だったろう・・・・

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さっきは「飛んできた」とあったが、

ここには腰越海岸からながされて境川を逆のぼってこの付近に流れ着いたとある。

飛んできたというよりはマシかと思ったのかもしれないが、

どうせでっちあげるなら「飛んできた」くらい言ったほうが気持ちがいい。


やっぱり、誰かがここへ運んだんだよ、きっと。


しかし、首実検のあと、「腰越の浜に捨てた」ってひどいな・・・


トビが拾うぜ・・・


まさかトビがここまで運んできたんじゃ?

境川をさかのぼるよりはよっぽどありえる。

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なんだかとても寂しい気持ちになる。


太陽も黒い・・・・・・・。




いざ鎌倉 6 白旗神社


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スタート地点に戻ってきた。

14:43。

4時間10分のお散歩であった。


さあ、義経に会いに行こう。


藤沢の北は寂しい。

シャッターが降りた店ばかり。


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白旗神社は藤沢駅から1.5kmくらいのところにある。

藤沢本町駅のすぐそばである。

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鶴岡八幡宮と違って人はいない。

一人も居なかった。

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手前にある白いものは、落ちていたポケットティッシュである。


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義経と弁慶の首が鎌倉へ送られ、

実検のあと、この神社へ「飛んできた」という。

頼朝はそれを聞いて白旗明神として祀るように指示したそうだ。

そんなばかな・・・

きっと、二人を憐れに思った誰かがひそかに運んだのだろう。

たぶん、頼朝自身の指示じゃないか?


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弁慶の力石というのは各地にあるようで、

こんな石を持ち上げるくらい力持ちだった、ということらしいが、

これくらいなら俺でも持ち上がるんじゃないか・・・

リアルすぎる力石だな。「こんなの持ち上がるかよ!!」っていうくらいじゃないと・・・。


ちなみにこれは「リキイシ」ではなく「チカライシ」と読む。

しかし当然、俺の頭の中では矢吹丈が叫んでいた。

「力石(リキイシ)ーーーーーーー!!」



いざ鎌倉 5 帰途

大船方面から藤沢へ帰る。

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これはトンネルではなく、落石防護設備だそうだ。



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大船付近で少し道に迷うが、

山崎跨線橋を見つけてようやく帰途が定まった。


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本当は線路の南沿いに帰るつもりだった。

線路を越えたので、白旗神社へ行くことにする。


義経・・・。



いざ鎌倉 4 鶴岡八幡宮

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鶴岡八幡宮。

神社である。

けっこうな人出である。


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鶴岡八幡宮で結婚式か、おめでてーな。


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おみくじを引く。

49番。

この数字をよく覚えておいて欲しい。



いざ鎌倉 3 隧道

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北条氏の別邸跡。なんにもない。



隧道3連発。

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長谷隧道。


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新佐助隧道。


「来るぞ来るぞ来るぞ来るぞてーごわーいーぞー」

と歌いながら通ったのは言うまでもない。


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地図には名前が無かったが御成隧道。



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トンネルを抜けると市役所であった。


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鎌倉駅到着。

12:00頃。予定通り、1時間半で着いた。



いざ鎌倉 2


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モノレールの下をくぐる。



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幼稚園か何かに咲いていた菜の花。



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天使に遭遇。



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先週間違って鎌倉山に迷い込んだ場所。


ここで11:30頃。

1時間が経過した。



外国語を理解するために必要なこと

久しぶりの海外出張に行って感じたのは、翻訳ツールの充実ぶりである。 誰もがもっているスマートフォンでは無料で使用できる翻訳アプリが使える。 パソコンではgoogle翻訳をはじめとして、これも無料で使える翻訳サイトがたくさんあり、翻訳の精度もずいぶん向上した。 アプリ等...