ad

2009年2月21日土曜日

義経

私は日本史が苦手だった。

苦手というか、なんのために日本史なんか学ぶのか意味がわからなかった。

特に、武士が「戦い」によって「東国支配」だの「全国統一」だのすることが、

まったく理解できなかった。


戦国時代の武士たちの戦いとは、一体どういうものだったのか。

大河ドラマなどで、馬に乗りよろいを着て刀をもった武士たちが、

ワーワーわめきながら刀で斬り合っている絵はわたしももちろん見たことがあるが、

本当にあんな戦いをしていたのだろうか?


わたしは勉強はもちろん、大河ドラマをはじめとする時代劇も大嫌いだった。

子連れ狼、破れ傘刀宗などは例外であるが。


誰も鎌倉時代の戦を見たものはいないのである。

絵や伝聞から想像しているにすぎない。


さて、義経であるが、彼は失敗者である。

一般的には、彼は戦功をあげながらも頼朝が警戒や嫉妬から彼を失脚させたとか、

他の御家人達の反感を買って、いわれのない冷遇を受けたという見方のようである。


しかし、私はやはり義経にも落ち度があったのではないかと思う。

そしてそれは、

彼が父の仇を討つという私怨に基づいて平家と戦っていた、

このことが彼の人生を失敗させた根本的な原因ではないかと考えた。


父を殺されたこともそうだし、おそらく子供の頃はつらい毎日を過ごしただろう。

それを動機として彼は武芸に励んで戦でも超人的な力を発揮したのではないだろうか。

しかし、そういう私怨から生まれる行動は周囲との和を乱し嫉妬を買うものである。


Wikipediaを読んでいてこれだ、と思ったのが、安徳天皇を自殺に追い込んだ、という記述である。


頼朝は、朝廷を敬っていたのではないか。

利用していたというのが普通の見方で授業でもそういう風に教わるが、本当にそうだろうか?

武士というのは、そもそもはボディガードのような存在だったのではないか。

それが活躍の場を増やしてだんだん権力を持っていった。


なかにはただの戦闘マシーンのような武士もいただろう。

しかしそういう武士は将軍にはなれない。


義経にはそういうところがあったのではないだろうか。


そして、信長も。