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吾妻鏡 実朝の最期

太宰治の「右大臣実朝」にも引用されていた。

行列のメンバーの部分は省略。



建保七年・正月二十七日


廿七日 戊子 入夜雪降、積二尺餘。今日將軍家
右大臣爲拜賀、御參鶴岳八幡宮。御社參、酉尅。御出
行列、

(略)

令入宮寺樓門御之時、右京兆、俄有心神御違例事、
譲御劔於仲章朝臣、退去給、於神宮寺、御拜脱之後、
令歸小野御亭給。及夜陰、神拜事終、漸令退出御之
處、當宮別當阿闍梨公暁、窺來于石階之際、取劔奉
侵承相。其後隨兵等、雖馳駕于宮中、〈武田五郎信光、進先登。〉
無所覽讎敵、或人云、於上宮之砌、別當公暁、討父敵

之由、被名謁〈云云〉。就之各襲到于件雪下本坊。彼門弟
惡僧等、籠于其内、相戰處、長尾新六定景子息、太郎
景茂、同次郎胤景等、諍先登〈云云〉。勇士之赴戦場法、以
為美談。遂悪僧敗北、阿闍梨、不坐此所給軍兵空退
散、諸人惘然之外無他。爰阿闍梨、持彼御首被向于
後見備中阿闍梨之雪下北谷宅。羞膳間。猶不放手
於御首〈云云〉被遣使者弥源大兵衛尉〈阿闍梨乳母子〉於義村、
今有将軍之闕吾専当、東関之長。早可廻計議之由
被示合。是義村息男、駒若丸、依列門弟云、恃其好之

故歟。義村、聞此事。不忘先君恩化之間、落涙数行、更
不及言語小選先可有光臨于蓬屋。且可献御迎兵
士之由申之。使者退去之後、発使者、件趣、告於右京
兆〈云云〉。無左右、可奉誅阿闍梨之由、下知給之間、招聚
一族等、凝評定。阿闍梨者、太足武勇、非直也人。輙不
可謀之。頗為難儀之由、各相議之処、義村、令撰勇敢之
器。差長尾新六定景於討手。定景、遂〈雪下合戦後、向義村宅〉不

能辞退、起座、着黒皮威甲、相具雑賀次郎〈西国住人、強力者也。〉
以下郎従五人、赴于阿闍梨在所、備中阿闍梨宅之
刻、阿闍梨者、義村使、遅引之間、登鶴岡後面之峰、擬
至于義村宅。仍與定景相逢途中。雑賀次郎忽懐阿
闍梨、互諍雌雄処、定景、取太刀、梟阿闍梨〈着素絹衣腹巻之上〉
首。是金吾将軍〈頼家〉御息、母賀茂六郎重長、〈為朝孫女也。〉公
胤僧正入室、貞暁僧都、受法弟子也。定景、持彼首、帰
畢。即義村、持参京兆御亭、々主出居、被見其首。安東
次郎忠家。取指燭。李部被仰云、正未奉見阿闍梨之
面、猶有疑胎〈云云〉。抑今日、勝事兼示。爰異事非一、所謂、
及御出立之期、前大膳大夫入道參進申云、覺阿成
人之後、未知涙之浮面、而今、奉眤近之處、落涙難禁
是非直也事、定可有子細歟。東大寺供養之日、任右
大將軍御出之例、御束帶之下、可令著腹巻給〈云云〉。仲
章朝臣申云、昇大臣大將之人、未有其式〈云云〉。仍被止
之。又公氏、候御鬢之處、自抜御鬢一筋、稱記念賜之。
次覽庭梅、詠禁忌和歌給。
 出テイナバ主ナキ宿ト成ヌトモ、軒端ノ梅ヨ春ヲワスルナ
次御出南門之時、靈鳩頻鳴囀、自車下給之刻、被突
折雄劒〈云云〉。又今夜中、可紀阿闍梨群黨之旨、自二位
家、被仰下。信濃國住人、中野太郎助能、生虜少輔阿
闍梨勝圓、具參右京兆御亭。是爲彼受法師也〈云云〉。



鶴岡八幡宮にて、雪の降る夜のこと。

二尺あまりというと、60センチ以上か、大雪だ。


「父の仇を討つ」と言ったとか、「食事の間も首を手放さなかった」という記述がある。


省略してしまったが大変な人数が参列していたのに、

殺すことはできたとしても、首まで持ち去ることなど可能なのだろうか。

みんな逃げてしまったのだろうか?






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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
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思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。