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吾妻鏡 腰越状

壇ノ浦の合戦後、鎌倉入りしようとして腰越に留め置かれたときに、

頼朝に出したという手紙、いわゆる「腰越状」。

このときはまだ伊予守ではないので「源廷尉」となっている。

検非違使のことか?


元暦二年・五月二十四日


廿四日 戊午 源廷尉〈義經〉、如思平朝敵訖。剰相
具前内府、參上。其賞兼不疑之處、日來依有不儀之
聞、忽蒙御氣色、不被入鎌倉中、於腰越驛、徒渉日之
間、愁欝之餘、付因播前司廣元、奉一通款状。廣元、雖
披覽之。敢無分明仰、追可有左右之由〈云云〉。
彼書云

 左衛門少尉源義經、乍恐申上候。意趣者、被撰御
 代官其一、爲 勅宣之御使、傾 朝敵、顯累代弓
 箭之藝、雪會稽耻辱。可被抽賞之處、思外依虎口
 讒言、被黙止莫太之勲功、義經無犯而蒙咎、有功
 雖無誤、蒙御勘氣之間、空沈紅涙。倩案事意、良藥
 苦口、忠言逆耳。先言也。因茲、不被糺讒者實否、不
 被入鎌倉中之間、不能述素意、徒送數日。當于此
 時、永不奉拜恩顔、骨肉同胞之儀、既似空。宿運之
 極處歟。將又感先世之業因歟。悲哉此條、故亡父
 尊靈、不再誕給者、誰人申披愚意之悲歎、何輩垂
 哀憐哉。事新申状、雖似述懐、義經、受身體髪膚於
 父母、不経幾時節、故頭殿御他界之間、成孤。被抱
 母之懐中。赴大和國宇多郡龍門之牧以來、一日
 片時不住安堵之思、雖存無甲斐之命、京都之経
 廻難治之間、令流行諸國、隠身於在々所々、爲栖
 邊土遠國、被服仕土民百姓等。然而幸慶忽純熟
 而爲平家一族追討、令上洛之手合、誅戮木曽義
 仲之後、爲責傾平氏、或時峨々巖石策駿馬、不顧
 爲敵亡命、或時漫々大海、凌風波之難、不痛沈身
 於海底、懸骸於鯨鯢之腮、加之爲甲冑於枕、爲弓
 箭於業。本意併奉休亡魂憤、欲遂年來宿望之外、
 無他事。剰義經、補任五位尉之条。當家之面目、希
 代之重職、何事加之哉。雖然今愁深歎切。自非佛神
 御助之外者。爭達愁訴、因茲以諸神諸社牛王寳
 印之裏、不插野心之旨、奉請驚日本國中大小神
 祇冥道、雖書進數通起請文、猶以無御宥免。我國
 神國也、神不可禀非禮、所憑非于他。偏仰貴殿廣
 大之御慈悲、伺便宜。令達高聞被廻秘計、被優無
 誤之旨預芳免者、及積善之餘慶於家門、永傳榮
 花於子孫、仍開年來之愁眉、得一期之安寧、不書
 盡愚詞、併令省略候畢。欲被垂賢察義經恐惶謹
 言
  元暦二年五月日
     左衛門少尉源義經
 進上 因幡前司殿

本当にこんな手紙を書いたのか真偽が疑わしいそうだが、

そもそもこのころ手紙は漢文で書かれていたのか?

かな文字なんか武士は使わなかったのか?

それはともかく、こんな手紙が公開されるだろうか?




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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
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私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。