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アキレスと亀

昨日山を登っていて、アキレスと亀の話を思い出した。


大山は登山道に何丁目という表示があって、頂上は28丁目である。

16丁目あたりで、「やっと半分か」という声が聞こえる。

みんなかなり疲れている。

「ここからがキツいんだよね」


私はあまり今何丁目かという表示を気にしないようにしていた。


ランニングでもそうだったのだが、決まった距離の最後まで到達するとき、

後半というのはただの1/2ではない。

そして、最後の1/3あたりで心がくじけそうになる。

マラソンでいえば30Kmあたり。


マラソンに備えて練習していたとき、どんな距離を走ってもそれは同じだった。

10km走れば残り3kmが、5km走れば残り1.5kmが、20km走れば残り6kmが。


マラソンは3回走ったが、3回とも最後に失速した。

いずれも、前半は想定していたペースを超えるくらい快調なのだが、

折り返しをすぎると急に不安になる。

「今まで走ったのと同じ距離を走るのか・・・」


体力はまだ残っているのだが、当然、今まで走って消耗しているのだから、

同じ調子では走れないだろう、と、頭で先にへばってしまうのである。


後半は、残りが何キロになっても、「まだあと○kmもあるのか・・・・」という

ネガティブな考えが湧いてくる。


半分走ったら折り返し、さらに10km走ったらあと10km、あと5km、あと3km、あと1km・・・・

どんなに残りが少なくなっても、つらい時は同じくらいつらくて、

永遠にゴールがこないような気になる。


しかし、ゴールしてみると意外に体力は残っていて、

なんであんなに絶望的になっていたんだろうと不思議なくらい。

つまり、完全に心理の問題、思い込みでバテているのである。


アキレスと亀の話は、単なる詭弁ではなくて、

そんなことにもあてはまるような気がした。



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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


くしゃみの後の咳

わたしはときどき、くしゃみをした後に咳き込むことがある。
あまり体調のよくない、前日に飲みすぎたときなどによくなる。

これは、くしゃみをするとタンがでかかるのだが出し切れずにヘンなところにとどまり、
それを出そうとして起きているようだ。

これがとてもつらい。咳払いをしたり、水を飲んだり、うがいをしたりするがどれも即効性はなく、
しばらく待つしかない。

以前は、くしゃみをするとタンが口から飛び出して壁などに張り付いたものだったが。
もっと前は、そもそもタンなど出なかった。