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がん


私の父はがんで亡くなった。父は6人兄弟のうち2番目に若い。普段あまり親戚づきあいはないのだが、葬儀などで親戚が何度か集まった。父の兄弟姉妹でがんになった人はいないが、母の兄ががんになっている。そして、最近妹にがんが見つかった。手術はしたがさいわい初期で、予後も良好なようだ。「がん家系」という言葉を聞いたことがある。私は父ががんになっていろいろと調べたのだが、統計的にがん患者の多い家系というのはあっても、「がんが遺伝する」ということには医学的な根拠はないようだ。おそらく、家族は食事を初めとする生活習慣が似るせいだろう。

わたしの父は濃い味が好きだった。醤油やソースをドバドバかけるタイプだった。若い頃、パンにマヨネーズをぶりぶりとかけ、そこに砂糖をドバっとかけて食べていた。それは幼いわたしも大好きな食べ物だった。今ではそんなもの見るのもゴメンだが・・・

わたしは食べ物の嗜好や食べ方がちょっとヘンで、おかずを一品だけずっと食べたり、逆におかずをまったく食べずごはんだけを食べたりしていた。また、固い肉などはいつまでもかみ続けていた。食卓で私の隣にいた父はそんな私をみて「ごはんばっかりたべないでオカズを食べな」と言い肉をかんでいるとイヤな顔をして「もう出せ」と言うが、わたしは食べ物を吐き出すのがイヤなのであわててゴクンと飲み込んだ。夕食にサンマが出ると、「サンマっていくらなんだ?」と必ずと言っていいほど聞いた。「いくらだ?」というのは晩年には毎晩のように言っていて、私は少しイライラした。

酒、たばこもやっていた。酒は泥酔するようなことはないが毎日飲んでいた。コーヒーも大好きだった。たばこはずっと吸っていたが、がんが見つかる直前に禁煙した。やはり、体調があまりよくないのを感じていたのだろうか。

ゴルフが大好きだったが、腰が痛くなってできなくなり、最後のほうは歩くのにも差し支えるほどになった。接骨院でみても結局原因がわからず、がんで手術をしたらなおったので、がんの痛みが腰痛となってあらわれていたようだ。

父がどうしてがんになったのかということは家族がみな考えたが、一番父を知っている母は「やっぱりストレスよ」と言っていた。食事や嗜好品も、そのストレスから刺激の強いものを求めたのだろう。
父は非常に神経質で、繊細であった。母もそうだ。それは私にも言える。親戚が集まったときにも、『繊細な人たちだなあ』と感じた。そういう家系なのだろう。いちど一人暮らしをして数年たって実家に戻ったときに、家族の繊細さ、神経質さがよくわかった。それはよく作用すれば我慢強く気配りができやさしい性格となってあらわれるが、ストレスを感じやすくまたそれを発散するのが苦手ということでもある。

妹はたばこは吸わないが酒はよく飲む。家族で一番の酒豪かもしれない。今は離れているのでわからないが酒は控えているのだろうか・・・彼女も仕事が非常に多忙なようで、毎日夜中に帰ってきていた。

最近思うのが、「人に気を使わせないのも長所の一つだ」ということである。
ちょっと失礼で無神経くらいなほうが、触ったら壊れてしまいそうな性格よりはマシなのではないかと。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


くしゃみの後の咳

わたしはときどき、くしゃみをした後に咳き込むことがある。
あまり体調のよくない、前日に飲みすぎたときなどによくなる。

これは、くしゃみをするとタンがでかかるのだが出し切れずにヘンなところにとどまり、
それを出そうとして起きているようだ。

これがとてもつらい。咳払いをしたり、水を飲んだり、うがいをしたりするがどれも即効性はなく、
しばらく待つしかない。

以前は、くしゃみをするとタンが口から飛び出して壁などに張り付いたものだったが。
もっと前は、そもそもタンなど出なかった。