ad

2010年2月11日木曜日

タラントを土に埋める男


今職場にいる若い子に何か言うと、ブラックホールに吸い込まれたように
私の思惑がはずれてしまうことが続いている。

そのとき思い出したのが、聖書にあった、預かったお金を隠していたら怒られた、
とかいう話である。

マタイによる福音書にある話だが、
この話は初めて読んだときから今に至るまで、何が言いたいのかいまひとつわからない。

ブログなどで、「神からあたえられた才能を開花させることだ」
などという解説をしているのを読んだ。
「タラント」というのは通貨単位だが、英語のtalentの語源になったとか。

しかし、私はそんな意味でイエスがこのたとえをしたとは思えない。

そもそも、この話は「天国」とはどういうものかをたとえた話である。

聖書は、イエスの言葉は、
「みんな仲良く誠実に生きようね」などという安っぽい道徳ではないことは、
最初に読んだときからずっと感じていたことであるが、
それにしてもこのたとえは本当に「神が人に能力を与えてそれを各自が生かす」
などというみもふたもない話なのだろうか?


あえて、一般的に解釈されているのとは違う解釈をしてみる。

この話に出てくる「主人」と「僕」は、神と人間に対応するのではない。
天国での、人のありようを示しており、「主人」とは人間ひとりひとりのことである。

人間が、考えるとき、行動するとき、仕事でも趣味でも遊びでもなんでも、
エネルギーや情熱を注げば、それに応じた結果が現れる世界である、という意味だ。
また、その注ぐ対称は、均等に万遍なくあるものではなく、もっとも効果的なように、
差をつけて注ぐという意味である。

5タラントを預けたものは5タラントをもうけ、2タラントは2タラント、1タラントしか渡さなかったものは
そのままだった。
たとえば突然1億もらったら商売をするかもしれないが、10万円だったら貯金するかパーッと使ってしまうだろう。

そもそも最初に、「能力(ability)に応じて金(talent)を与えた」と書いてある(gideon bible)。
神様は誰にもわけへだてなく恵みを与えるのではなかったのか?
「雨は誰にでも降るが平等ではない。不平等な世界に降るからだ。」
という言葉を読んだことがあるが、
神様は不平等な世界に平等に恵むどころか、
恵まれたものにさらに与え、貧しいものからは持っているものをうばって豊かなものに与えまでするというのだ。

現実を見ればその通りだ、能力のあるものが仕事を与えられて豊かになり
さらに仕事を与えられて格差が広がっていく、それが現実だ、とは言えるだろうが、
だからといって、天国がそのようなものだというのがこの話の真意と言えるだろうか?
私にはそうは思えない。

先だっての定額給付金であるが、
ひとりひとりに分配したら1万とか2万円にすぎないが、
総額は2兆円だという。

2兆円あったらどんなビジネスができただろう・・・・・?

わたしは定額給付金など、何につかったかもわからない。
土に埋めるどころか、ドブに捨ててしまったようなものだ。
そんな人が多かったはずだ。

なんかつまらないカネの話になってしまった。

本当はこんなことを言いたいのではなかった。

結論はださない。
これからも考え続けていくひとつのテーマである。

そういうものを持つことも必要である。
何もかも是非を区別して片付けられるものではない。

わからないこと、逃れようのないものに時間をかけて付き合っていくことも必要である。