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2010年4月18日日曜日

安重根と伊藤博文


NHKでやっていた番組を見た。
安重根は韓国では英雄である、というのは聞いたことがあった。
私は日本が韓国を併合したのだから、暗殺ぐらいのことはあっても当然だ、と思っていた。

この番組では、「どちらも悪くない」ようなとらえ方をしていた。
伊藤博文も韓国統治に関しては穏健派で、韓国人を大臣にするなどの意見を持っていた。
安重根も、欧米の思想にアジアが染まることに危機感を感じていて、その点では日本は味方のはずだった。

私がこの番組を見ていて感じたことは、歴史というものはひとりの人間によって動くようなものではない、ということだ。

伊藤博文も、安重根も、その時代におかれた自分の境遇に必死に対応したにすぎない。

「安重根が伊藤博文を射殺した」

という事実(陰謀説などもあるらしいが)だけを取り出すと、わかりやすいが、
それはあくまでも二人の人間が遭遇したひとつの事実にすぎない。

安が正しいとか間違っていたとか、伊藤はいい人だったのに殺されてかわいそうだとか、
人間ひとりひとりについて評価するのは無意味だ。

最近の竜馬ブームもそうだし、「歴史上の人物」が世界を変えたというような考え方はどうなのだろうかと、ずっと疑問に思っていた。

「歴史上の人物」というなら、名も無き百姓とか下っ端役人とか、今で言う専業主婦のような女とか、そんなひとだって全員「歴史上の人物」である。

あたかも、将軍だの総理大臣だの総督だの皇帝だのの一言が世界を動かしていたような考え方は、到底受け入れられない。


現在、オバマ、鳩山、金正日などが世界を動かしていると言う人はいないだろう。
彼らも与えられた任務を必死にこなしているだけだ。

そして、何の責任もない一般の人々は、彼らの言動を笑って馬鹿にして生きている。
今われわれが尊敬している「歴史上の人物」だって、そういう人たちと同じだったはずだ。