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2010年4月18日日曜日

ひとり床屋談義


2ヶ月ぶりくらいに床屋へ行った。普段は最近増えた、1000円とか1800円とかの安い床屋で適当にお任せで切っている。土曜の11時ごろ、一度行ったことのある1800円の床屋へ行ったら、二人待っている人がいたので、すぐに引き返した。もうひとつ安いところがあるのだが、そこは駅の近くでいつも混んでいるので無理だろうなと思いつつも見に行ったら案の定、5人くらい待っていた。仕方ないなと、4000円くらいの、昔ながらの床屋さんへ行くことにした。そこは一度行ったことがあるのだが、もう行きたくないと思っていた床屋だ。

客はひとりもいず、私が入ると座ってテレビを見ていた親子の理容師がびっくりしたように立ち上がって親の理容師が私の髪を切った。持っていたカバンや上着を待合用の椅子の上に置く。かけましょうかの一言もない。お父さんは、仕事は丁寧なのだが時間がかかる。普段行っている床屋の雑だが速い仕事に慣れていたので、イライラする。

私の後にもうひとり客が来た。常連のようだ。若旦那が担当する。1時間くらいして、ようやく頭を洗う。その後、当然のようにBRAVASを振りかけようとしたのであわてて断った。頭を洗った後、顔そりをした。これも久しぶりだ。最近は床屋では顔やヒゲを剃ることも断っているからだ。お父さんの手が震えている。怖い。ただ、震えているのは顔をおさえる左手のほうで、かみそりを持ったほうはかろうじて震えていない。70歳くらいかな?最後、ドライヤーで整髪する。これも丁寧だが遅い。私は髪の毛なんかずっと前から「無造作スタイル」なので無駄なことなのに・・・

私の後に来た客が先に帰った。髪を切られながら、こういう床屋も少なくなったなと思いつつ、この業界もそこそこのサービスで低価格が主流になっていくのだと感じた。

TV番組が音だけ聞こえる。恐竜に関係するイベントに関するもので、アナウンサーが説明するVTRがメインで、そこに若い女性の驚いたり笑ったりする声がかぶされ、合間にお笑い芸人たちがちょっとしたコメントを入れる。いかにもつまらなそうな番組である。最近よくきく、「テレビが終わりつつある」というのは、こういう番組のことを言うのだろう。テレビというものは、「お茶の間」という言葉があるように、家族で食事時などに見るものだった。番組の中身はそれほど真剣に吟味することはなく、「ヒマだからテレビでも見る」という程度のものだった。今は核家族化してさらに成人すると一人暮らしするのが当然のようになり、さらに家族で同居していてもテレビは個室で見るようになった。「テレビを見る」というイベントではなくなり、純粋に映像による情報や娯楽の媒体となった。そうなると、番組は「当たり障りのないもの」では満足できなくなってくる。私も一人暮らしになって、見る番組が変わった。同じ番組を見ても一人ではつまらないものがある。それはテレビがつまらなくなったというより、自分の生活が変わったのである。

そのテレビ番組でこんなことを言っていた。「恐竜が生きていた時代は1億8000万年、人間が誕生してまだ400万年しか経っていない」恐竜がそんなに長い間生きていたとは知らなかった。なるほど、もしかして人間は恐竜にも劣る存在なのかもしれない・・・逆に言うと、人間はこれからさらに1億年以上も行き続けるのか、一億年後の人間はどんな生活をしているのだろうか・・・などと考えかけたが、ただ、私はそういう、「地球の45億年の歴史に比べたら人生なんか・・・・」とか「宇宙のすべての星の数を考えるときっと知的生命体が存在する」などという考え方が嫌いだ。われわれの人生が80年だか100年だかであることは、それに比べてどんなに長い年月と比較しようが、何も変わらない。地球が45億年前にできていようが、50億年後に太陽が燃え尽きようが、1万年後に氷河期が来ようが、まったくどうでもいい話である。もっと言うと、自分が死んだ翌日に地球が爆発しても、いや、自分の人生が地球の爆発によって終わっても、交通事故で終わっても、病気で死んでも、どうでもいいのである。

・・・

床屋では私は話をしない。目をつぶって、こんなことを考えているのである。

ひとり床屋談義でした。