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2010年8月14日土曜日

セミはなぜ鳴くのか

やることがないのに職場にいなければならないほど嫌なことはない。

やることをやったら帰りたい。やることがたくさんあって時間がなければ残業することはいとわない。
でも、やることがないときに拘束されるのは御免だ。

「人生もやることやったら終りになんねーかな」と独り言を言って、でも『仕事だってそういうわけにはいかないしな・・・』と、人生も仕事も、すべきことがあろうとなかろうと拘束されるものかなと思う。

人生はともかく仕事については本来すべきことがないのに職場にいるのは無駄なことであり、社員を会社にこさせるのは硬直した日本の組織ゆえの馬鹿げたことであるとずっと考えていたが、もしかしてそれが仕事の本質なのではないかと思った。

やることなど無限にある、やることがないなんて怠慢だ、人生も仕事も限られた時間で全力の仕事をなすのが人間の勤めだと、いう意見もあるだろう。

しかし、私は知っているのだ。今までに生きた人、今生きている人、そしてこれから生まれて生きて死んでいく人が、そんな気持ちで生きていないということを。


昼休み外に出てセミの声を聴きながら歩いた。心なしかセミの声にも疲れが見え始めたように感じる。ジジ・・・ジジ・・・と、死に掛けたような声が聞こえる。しかし、やはり無数のセミがそこらじゅうで鳴いている。セミはメスを求めて鳴くというのは本当だろうか?

セミは地中で何年か過ごしたあと地上に出てきて馬鹿みたいに鳴き散らしてあっという間に死んでいく。そんなセミにとって、鳴くことは本当に求愛にすぎないのだろうか?わたしは「セミは求愛のために鳴く」という考えがとても虚無的なつまらないものに思えてならない。

セミにとって鳴くことは人生のすべてといってもいい。セミが鳴くところをすぐ側で見ると、大変なものだ。かなりの大音量で、全身を楽器のようにして鳴く。本当に求愛だけのためにそんなに必死になれるのだろうか?

そもそも、これはセミに限らず、犬でも猫でも魚でも、牛でも馬でも人間でも、生まれてきて子孫を残して種を存続し増やそうなどと、本能であるにしろ、目的としているのかということに、私は非常に懐疑的である。

「それは考えるも何も、増やそうとするのが生物の本能だ」というのは真実かもしれないが、
だからといって、「セミが鳴くのは子孫を増やそうとする本能によるのだ」と言うこともできない。

セミが鳴くのは、人生そのものなのだ。あれは、人生を謳歌しているのだ。
うわー世界はこんなに暑くてまぶしいのかうわー空青ぇええええええ 夕焼け赤ぇぇええええ 木陰涼しいぃいいいいいいいいい 生きるってすげえええええええええ ジイイイイイイイイイイイイイイイイイ ミイイイイイイイイイイイイイイン シャワシャワシャワ オーシンツクツクツク カナカナカナ !!!!!!!!!!

という感じで鳴いているのだ。メスを探して子を残すのは、ついでのようなものだ。
自分の人生を謳歌するので精一杯だ。誰が自分が死んだ後のことなど考えるだろうか?
みんなだってそうでしょう?

300年後に隕石が衝突しようが、50億年後に太陽が燃え尽きようとどうでもいいと思うでしょう?
それなら、それがあなたの死んだ10秒後に起きたって、どうでもいいはずだ。