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2010年8月28日土曜日

戦争の親玉

民族紛争とか、それを制圧するような軍事行動はあっても、
アメリカ、中国、ロシア、日本などの大国があい争うような戦争はもう起きない。

ミサイルを撃ち込めば即それに対するミサイルが飛んできて破滅するという「抑止力」のためではなく、「戦争をして得することなど何もない」とわかっているからだ。
しかし、「戦争が起きるかもしれない」と人々に思わせておくことが、自分の利益になるという立場の人たちがいる。

いまや軍事的な示威行動や核実験の意味はそれでしかない。

昔からそうだったのかもしれない。
『戦争が起きるかもしれない、それは嫌だ』
と人に思わせること、これが世界を動かす。あるいは安定させる。

沖縄の基地の問題も、「そういう問題がある」とニュースになるだけで十分なのである。
だから、候補地が決まらなかったり、決めても工事が進まなかったりするのである。

核武装についても、同様である。それを議論して、「問題発言だ」とニュースになるだけで十分なのである。

では、それが本当の戦争になるかどうかは何によるのだろうか?
第二次世界大戦のようなことになるのは何故だろうか?

以前にも書いたが、それは大国の大統領や総理大臣の一存によるのではない。
それを導くのは意志も感情も持たない「民意」である。

Bob Dylanの曲に Masters of war というのがあるが、
Masers of warは、民意である。

民意というのは、特定の誰かの意見ではない。
人々が利己的に、なんのポリシーにも信仰にもよらず動物のように行動した結果、
雲が湧き出るように現れるのが民意であり、それが戦争の親玉なのである。


・・・こんなことを考えながら朝生を見ていた。