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2010年11月13日土曜日

キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。


このような、体の一部をぎゅっとつかまれて痛い思いをする夢は、ちょくちょく見る。
キンタマはあまりないが。

そういえばキンタマといえば、もうずいぶん昔だが、キンタマを銃で撃たれる夢を見たことがある。
夢ではあるが状況は自分の寝ている部屋で、その部屋のドアを何者かが開けて、わたしのキンタマを銃で何発か撃った。

わたしのキンタマはガラス細工のようにパリンパリンと割れた。痛みはなかった。
その夢のことは強烈に覚えているし、人にも話した。

いったいどういう夢なのだろう?

性的なものに対する罪悪感だろうか?不安だろうか?


または、その痛みはほんとうの肉体の痛みで、つまりどこか悪いのではないかと思うこともある。

そういえば、最近なくなったが、ちょくちょく夜中に胸が痛むことがある。
それは奥歯の痛みとして感じることもあり、測ってはいないが、長いと10分くらい続く。
調べると、心臓の痛みの放散痛に似ている。

もしかしたら、そういう痛い思いをする夢はみな放散痛なのかもしれない。

目覚めてからいつも不思議に思うのは、どうして自分は夢の中でそういう痛みに耐えるだけで、
掴んでいるものを離そうとしないのかということだ。
身動きができないのだ。

夢が自分の感覚や意識がつくりだしたものであったとしても、それに反応して行動を起こすことはできるだろう。

どうしてそれができないのか?