近道

今朝はいつもバスでいくところを歩いていった。
いつもバスが曲がる交差点の手前に細い道があって、いつもの通りに出られるだろうとそこへ入った。
別に近道ではないのだがどうしても近いような気がした。
そしてそのいつも歩かない道を歩いている最中に、やっぱりこちらが近道であることがわかった。

角を曲がるとき、最短距離は道の内側を直角に曲がる行きかただ。
その角の手前に同じ方向に曲がる道があり、さらにその道がまた曲がって、
先の角を曲がった道に出るとすると、地図上では等距離だとみなされるだろう。
小学生の頃、算数の問題で出てきたように。

しかし、手前に曲がる道を入るときにその角の一番内側を通り、
そこから次の角のまた一番内側をめざして、通りを斜めに渡るように歩くと、
まっすぐ歩いて直角に曲がるよりはわずかに歩く距離が短くなる。

そんなの当たり前じゃん、と言うかな?

電力

今ヤフーのページに出ている東京電力の電力使用量は3145万kWだそうだ。
それに対する供給が3800万kWで、使用率は82%ということである。
80%台になったのは昨日からくらいで、それまではずっと90%台だった。暖かくなったからか。

さて、3145万kWとは、どれくらいの電力量なのだろうか。
私の部屋のブレーカーは30Aである。電圧は100Vなので、目いっぱいつかうと3000Wとなる。
それの1千万倍が3000万kWだ。

もちろん私は30Aも使っていないはずだ。
パソコンと、部屋の電灯と、冷蔵庫くらいかな。
10Aくらいじゃないだろうか。

そういえば、PCは自作したもので、電源は500Wとかじゃなかったかな。
電灯が100Wで、冷蔵庫はどれくらいだろう?小さいし、温度も一番高いからたいしたことはないだろう。
40Wくらいという情報がある。全部たして640W。10Aにも満たない。
ブレーカーを低容量のものに換えると基本料金が安くなるそうだが、賃貸物件なのでそうもいかない。

停電2

もっとはっきり言おう。
発電というのは常に使われない電力を持っている。

停電する理由

これは当たり前すぎることなのか、全く説明されないが、
なぜ停電をするかという理由であるが、
電力の需要に対して供給が不足するからであるが、
不足するのは当然地震により発電所が損壊したからであるが、
しかし、不足するからといってどうして停電するのだろうか。

みなさんのなかには、家庭で電気を使いすぎてブレーカーが落ちたことのある人がいるだろう。

そのようなブレーカーみたいなものは、家庭はもちろん、工場やらオフィスやらにも当然あるだろう。

それでも停電しなければならないということは、日本の電気というものは、
電気を使用している者が全員ブレーカーが落ちる寸前まで使う容量を持っていないということだ。

たぶん、そういう事態になると、家庭や工場を束ねるもの、それが変電所なのかなんだかしらないが、
それのブレーカーが落ちて、広域にわたって停電が発生することとなる。

おそらく、全員が契約めいっぱいの電力を使用することを想定して発電したらムダが多すぎるのだろう。
それはわかるが、だからといって、そのような事態がおきたときの対策が停電以外に何もないというのは、
ちょっと不思議だ。

今回の件でなくても、時々節電しましょうという呼びかけを聞いたことがある。
それは、エコがどうのという理由ではなく、東京電力からのお願いとしてである。

電気なんてものは、ある量に達するとそれ以上使えなくなる、
というようにはできないものなのだろうか。

水道なら、蛇口をひねっても水がでなくなる。
それならまあ、しかたがない。

でも、「あなたはこれから風呂にはいりシャワーをじゃぶじゃぶ浴び、庭に水をまくと水がたりないので明日水道を使用することを禁止します」と言われたらどうだろうか?「いや、使いすぎがダメなのはわかるけど、顔洗って歯みがいてトイレを流すくらいの水は使わせてよ。全く使えなくすることはないじゃん?」と言わないだろうか?

朝生

昨日というか今朝(2011/03/26)の朝生を見た。
朝起きてから、録画したものを見た。

当然地震と原発に関する話に終始した。

だが、私はずっと見ているうちに、むなしくなってきた。
皆、人間というものに対して、どうしてそんなにバカで利己的であることを前提にするのだろうか?

料金、税金、法律、条令、そんなものでしか人間は変えられないのだろうか?
そりゃ、総理大臣とか都道府県知事とか大臣とかになれば、そう考えるだろう。
そういう人だから、そういう仕事をしているのだ。芸術家や科学者ではなく。

私が以前いた職場で、事あるごとに「それは精神論だから」「精神論じゃなくてさ」
とニヤニヤしながら言う人がたくさんいた。

どうして、精神論を語ってはいけないのだろうか?
どうして、「一生懸命がんばる」といってはいけないのか?
どうして、「最大限の努力をする」と言ってはいけないのか?

完全なシステム、完全な法律、国家の仕組み、
そんなものがないと人は生きていけないのだろうか?
どうして、法律で定められないと何もできないのだろうか?

どうして、総理大臣が誰かによって、名もなき市民の生活が変ってしまうのだろうか?
もっと、昔は政治も法律も建前にすぎず、みんなもっと違うものを基準に生きていなかっただろうか?

時間を止める

今朝いつものように信号待ちをしていた。
まだ赤だったが何人かの人が渡って行った。
私はそこの信号が後どれくらいで青になるかがわかっていた。
あと15秒くらいだった。
15秒だから、と思ったが、何かを待っているときというのは時間が進むのが遅いものだ。

そしてそのとき改めて思ったのは、時間の進み方というのは人の意識によって変わるということだ。
信号を渡り終えて駅までは1、2分と、信号待ちより長い時間がかかるのに、
待っているときのように時間がすすむのが遅いとは思わず、
遅刻しそうなときなどはもっとゆっくり進めと思うほどだ。

それを考えたときに、もし時間を止めたいなら、意識の持ち方によって、
完全にとめることはできないとしても、遅くすることはできるのではないかと考えた。
何かを待っている時に遅く感じる。そしてその待つものは今すぐにでもやってくるかもしれない。
そして、それが来てしまってはいけない。さあ、何を待てばいいのか。

そこまで考えたときに私はキリスト教はもしかして飛び去るように過ぎ行く時間を止めようとするものなのかと考えた。

虚業

もう、仕事に対する意欲がまったくといっていいほど湧かない。

地震があるまでは、とても忙しい日々で、しかもなんだかとらえどころのない、勝ち目のない戦いというか、
義理で付き合っていたようなところがあった。

地震があったのは金曜日で、仕事が有無をいわさず打ち切りとなった。
今だから言えるが、はっきりいってとてもホッとした。
震源がどこだろうが、何人死のうが、とりあえず自分の生活に小休止が訪れたことがうれしかった。

そしてインターネットやテレビで情報を得つつそれに対する人々の反応を見ていると、
どうも、そういう特攻みたいな仕事をしていたのは自分だけではない、もしかしたら日本中がそうだったのではないか、
と思えてきた。

原発にヘリコプターから放水したのを、海外ではKAMIKAZEだの、desparateだのと報じていた。
おそらく、今回の事故では報道されることなく被曝しあるいは亡くなっていった人、心を病んでしまった人がいただろう。

それは、今回のような数千年(私は数百年ではないと思っている)に一度あるかどうかの災害時だからではなく、
平和な日々でも起きていたことである。
普段でも日本では毎年3万人が自殺しているなどという言わなくていいことを言う人がいるが、
自殺者がどう、死者の数がどうではなく、仕事というもの、生活というもの自体が、その基本的な性質として、
自分を殺して肥やしにする、人柱になる、そんな性質を持っているのかと、思わせる。


自衛隊の決死の放水作業や被害者の救出に皆感動しているようだが、
あくまでもそれは悲劇であり、不幸である。1万人を超える人々の死は、われわれの乾いた日常にうるおいを、感動を与えて新しい日本を築くためなのか。
われわれはこんなことに感動して、「日本ではこんなときでも略奪が起きず、店に整然と並んでいるすばらしい民族だ」
などとうぬぼれている場合だろうか。

私たちはもっと、茫然自失となって、何も手につかなくなって、しばらく打ちのめされているべきではないか?

日本

100年後くらいに、今の日本の事を誰かがきいたら、「しかしどうしてこんなに大震災が頻発する国にいつまでもすんでいたのかね、この人たち?」と疑問に思われるのではないだろうか、と思ったりした。

地震

こんなことを言ってもみもふたもないが、あらためて思うことは、こんな大地震や大津波など、誰にも予想できないし防ぎようもないということだ。こんな災害が来ることを常に覚悟していては、何もできないだろう。誰をうらむことも責めることもできない。

花粉症

こんなときにどうでもいいことだが、昨日走って家まで帰ってきてあらためてわかったこと。
「走っている間は花粉症の症状が出ない」

多分、走らなくてもやや激しい運動をすれば同じことだと思う。
私は走りながらどうしてだろうと考えた。

花粉症というのは免疫機能の、異物を排出しようとする機能が過剰に働くことだと認識している。
そして人々はそれをふせぐために薬で抑えたり、花粉の吸入をとめたりする。
しかし、身体を動かすとその症状がおさまるというのはどういうことだろう。
普通に考えると激化しそうなものである。

私は仮説をたてた。
花粉症というのは単なる免疫機能の暴走ではなく、それを制御する何かの機能低下なのである、と。
免疫機能の異常な活性化は、そのある機能の非活性化により起きている。
だから、花粉症に対策するには、免疫機能を抑えるだけではだめで、「ある機能」を活性化することが必要なのだ。

翌日

死者の数や名前を読み上げることがむなしい。

ひとつ、とても驚いたというか気持ち悪いというか愕然としたことがある。
職場でいっしょに仕事をしている女性と帰り際にすれ違った。

彼女は着替えて、真っ赤な口紅を塗っていた。
まるでおばけのQ太郎のようだった。
彼女はあるいて10分くらいのところに住んでいるのである。
いったい誰に見せるために口紅などぬっているのか。
しかもこんなときに。一体何を考えながら口紅をぬったのか。

2011年3月11日(2)

そしていつも行きつけの中華料理屋へ入った。午後7時ごろである。
3人組の若い女性、スーツを着た二人の男性などがすでにいた。
私の後からも客がたくさん入ってきてほとんど満席となった。

店にテレビがあったが遠くてよくわからない。
iPhoneの電池もなくなりかけている。
家に引き上げる。

部屋はほとんどなんともない。
台所にたてかけてあったまな板が流しに落ちていたのと、
テーブルの上においてあった空のペットボトルが倒れていたのと、
パソコンのスピーカーが机の下に落ちていたのと、
紙の上に文鎮代わりにおいていたウイスキーの小瓶が落ちていたくらいだ。

お湯が出なかった。
これはガス供給が止まったのではなく、部屋ごとにある装置の自動遮断機能が働いただけで、
翌日、ぶらさがっていた説明書どおりに復旧操作をするとすぐに戻った。

節電がよびかけられていたので、PCとインターネットのモデム以外はなるべく使わないようにし、
エアコンをとめてダウンジャケットを着た。

わたしの部屋は高い階にあるので、ちょっとした地震でもすぐわかる。
小さな地震が絶え間なくある。

走ってきたのと酒を飲んでいたのでうつらうつらしていたら、
夕方に家族へ出しておいたメールの返信が届いた音で目が覚める。

それからずっとテレビを着けたまま寝たりおきたりしていたが、
なんどか緊急地震速報で飛び起きる。

12時を過ぎた頃、コンビニへ行く。
おにぎりとパンがすっからかんになっている。

ワインと、ビールと、チーズを買う。

2011年3月11日

職場のビル7階にいて若いのと話をしていた。
「地震だ・・・」と誰かが言い、わたしもすぐに気づいた。
なかなかやまないなと思っていたらどんどん激しくなってきて、
誰が指示したわけでもないが皆机の下に潜り込んだ。
机の下から見上げていると、天井の蛍光灯やらパイプのようなものが大きくゆれ、
蛍光灯が消えたり、落ちたりして、ホコリだか煙だかわからないものが舞う。

私の職場は神奈川県の真ん中あたりだ。

揺れがひと段落すると、これまた誰が指示するわけでもなく、皆階段から避難を始めた。
みな驚いてはいるがニコニコして余裕があり、外でおしゃべりをしている。
しばらく待つとかなり大きい揺れが来た。
ビルが揺れているのがわかる。

1時間近く待っただろうか。
ビルに戻って片づけをしているとまた揺れた。
するとみなカバンを持って帰り支度を始めた。

4時か5時ごろだったろうか。業務終了ということになった。
電車は止まっているので社内で待機することをすすめられたが、
私はとにかく帰りたかったので、すぐに職場を後にして歩き始めた。

車が私が向かうのと反対方向だけ渋滞している。
タクシーもバスもダメなことは確認するまでもなかった。
そのまま家の方角へ向かって歩き続ける。

その間iPhoneで状況を調べ、震源や宮城の震度が7だったことや、東京もかなり揺れたことなどを知る。
宮城や福島など震源近くの状況は情報伝達手段すら壊滅して伝わらなかったことが翌日になってわかった。

歩いていると津波警報が出ていることがアナウンスされている。
道路には車の使用を控えるようにとの掲示が出ている。

バスやタクシーがときどき通る。バスは満員で、道路はだんだんどの方向も渋滞してきた。

わたしは家まで歩き通すつもりだったが、花粉症の症状がひどくてくしゃみが止まらなくなった。
そこで私は走ることにした。
以前ランニングをしていて、走っているあいだはなぜか症状が出ないことを知っていたからだ。
カバンがちょっと重くて、久しぶりに走ったこともあって30分くらいでいったん歩く。
するとまた症状が出てくる。これは家までいくしかないと意を決して再度走り出す。
結局途中でなんどか歩いたものの1時間くらい走ってみなれた家の近所に着いた。

私大

私は塾というものに行ったことがない。
習字、そろばん、野球、なにも習い事をしたことがない。
そんな子は、クラスにもほどんどいなかった。

通信教育みたいなものをやったことはあるが、すぐ挫折した。

中学にはいったとき基礎英語を聴き始めたが夏にはやめていた。

高校まですべて最寄の公立の学校に通った。
浪人して予備校に通った。
これが私が通ったはじめにして唯一の「私学」だった。

大学も公立に入った。
そして、やめてしまった。

2018年年末の体調

尿検査でクラミジアと淋病は陰性 のどの検査も陰性 血液検査で梅毒は陰性 結局何にも感染していなかった。 医者は、前立腺炎ではないかという。 その場合抗生物質を長めに飲む必要があるということで、 さらに1週間分飲んだ。 尿道の軽い痛みはほとんどなくなったが、 ま...