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2011年4月3日日曜日

わたしは生きることについてあまり肯定的に考えていない。
「一体どうして生きなければいけないのか」と疑問に感じていた。

とはいっても、首をくくったり飛び降りたりするのは苦痛だろうし、迷惑もかかる。
病気になるのはいやだし、ハラがいっぱいになる程度には食事もしたい。
グルメ的な趣味はいっさいないが、酒も飲むし、あれもするし、これもする。

今回、被災者を思って行事などを自粛することに対し、行き過ぎではないかという疑問の声があがっている。
そして、そのときに必ず言われることは、「おおいにカネを使って消費を活発にし経済を復興すべきだ」。

たしかに一理あるのかもしれない。
しかし、私は、遊びたいなら、楽しみたいなら、贅沢をしたいなら、それが復興のためだとか言うべきではないと思う。
そんな大義名分をつけて遊んで、被災者が喜ぶだろうか?


思い切って言うと、私は、今回の災害があっても、以前と変らず人の生になんの意味も価値も見出せない。
津波で死ぬか、ガンで死ぬか、電車に飛び込むか、殺されるか、いずれも死は死である。

もちろん人が死んだらかわいそうに、と思う。
本人も、遺族も。

でも、死は誰にも避けられないものであり、地震や津波がおきたことについて、誰を責めるわけにもいかない。
いくら尊い命が一瞬にして失われようと、「とにかく生きてさえいればよい」という考えには同意できない。

生きていても、何の貢献もしないような人はたくさんいる。
むしろ迷惑をかけ何かを奪っていく人ばかりだ。

それはそれとして、受け止めるべきではないだろうか?
そんなに急に人間が生きることを美化するのはおかしい。