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2011年10月15日土曜日

「私立文系」はダメ

「私立文系」は一番ラクである、ということは私が大学を受験したときも言われていた。過激な人は「私立文系行く奴なんか男じゃない」と言っていた。20年ほど社会人を経験して、いろんな人たちを見てきたが、確かに「私立文系」はダメだ。なんとなく感じていたことではあるが、最近、ある有名大学出身の人間と仕事をする機会があってそれを確信した。「え!○大の○学部!?」と驚くようなところである。そこ出身の人と直接話したり仕事をしたりするのは初めてのことであった。しかし、その人は仕事があまりできなかった。仕事ができないだけでなく、私はその人に気分を害されることが多かった。そして、最近私が悩まされていた若手二人も私立文系卒であることに気付いた。

何がダメなのか。簡単に言うと、「アタマが悪い」というよりも、「性根が腐っている」。純粋に経済学や法学などを勉強しようと思って私立文系の道を選ぶ高校生などほとんどいないであろう。それも、なんとなくつぶしがきくとかいうかわいいものではなく、一番ラクで得する道として選んでいるのである。勉強や受験というものを、社会に出るために越えなければいけないハードルであると考えている。今では「大学くらい出てないと就職できない」というのはほとんどの人が考えていることで、事実と言ってよいだろう。もちろん、私立文系を選ぶような彼らに一芸に秀でて一発当ててやろうなどという野心はない。越えなければいけないハードルなら一番低い方がいい、という選び方だ。

その姿勢は仕事にもあらわれる。仕事というものも、「生きるために課せられる障碍」のようにみなしている。だから最低限のことしかせず、できるだけ楽をしようとする。彼らは仕事をしていて、「疑問」を示すことが非常に少ない。なぜそれをするのかとか、なぜこういう結果になるのかなどについて考えることをしない。ある物をA地点からB地点に移動する、というようなことしかしない。何のために移動するのか、そもそもなぜA地点にあったのかなどを考えない。とりあえずA地点から移動すればよいときに、移動先を告げないと、「どこに移動すればいいですか」と聞いてくる。それも、単にわからないから質問しているというのではなく、「不十分な指示では仕事ができない」というような不満をこめた聞き方である。(これはたとえではなく、文字通りあるモノを移動したときの話である。)考え方も、行動も、消去法的である。何か言うのは、自分の任務を遂行するのに差し支えることを除去するためだけである。他人にアドバイスなどしない。自分がしたのと同じ事を誰かがやることになれば、自分がした苦労を繰り返さないように注意点やコツなどを教えるのが普通であるが、彼らはそれができない。どうも、そういうことをするのはその人の為にならないと考えているようである。彼らは大学で何を学んだのだろうか?

そうなる原因は、数学をやっていないことであろう。論理的思考力がないとかよりも、困難を避けようとする性格というか性根。さっき書いた「性根が腐っている」ということである。単に勉強が嫌いだったりバカなだけだったら大学などいかないのだが、彼らには人より贅沢をしラクをして生きたいという欲求だけは人一倍ある。これがタチが悪い。

それに対して、やっぱり国立大学の理系を出ている人はすごい。努力家で、話し言葉も書き言葉も丁寧で理路整然としている。「頭がいい」というよりも、とにかく「誠実さ」を感じる。「私大文系」の対極である。



これはあくまでも「そういう傾向がある」という話である。
傾向話をすると、例外を持ち出して得意げなカオをする人がいるが、あくまでも傾向なので。
そういう人が多い、という話である。

あと、大事なことを書き忘れた。
私大は学費が高い。国立は安い。
学費を出すのは親。