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2011年10月22日土曜日

天皇制と首相公選制

朝まで生テレビを見た。テーマは「首相公選制」であった。議論はなかなかそのことに触れなかったが、朝生のテーマなど酒のつまみのようなものだから面白い議論ができればその辺はどうでもいい。結論なんか最初から出るわけがないからだ。結論を出すつもりなどさらさらなく決して分かり合えない人たちが言いたい放題言い合うのがこの番組の楽しさである。

本題の「首相公選制」は是か非かということについては非という人はいなかった。おおいにやるべしという事についてはほぼ意見は一致していた。一人、韓国人の女性が強力なリーダーは生まれるが不安定でもあると、欠点もあることを指摘していた。

そして話題は「どうして公選制が実現しなかったのか」になった。誰がつぶしたとかなんとか細かい話はいろいろ出たが、決定的な答えは出なかった。

そこでひとりの大学教授が「直接選挙で誕生した首相には強力なカリズマが発生し天皇と競合することを恐れた」というようなことを言った。それについては賛成意見も反対意見もほとんど出ず、あまり議論がもりあがらず場がシーンとしてしまい、それ以後過去の経緯を振り返ることもしなくなった。

多分、議論に参加していた人たちの多くが『すでに天皇にはカリズマなどない』とアタマの中で思っただろうが、さすがにテレビでそれは言えなくて黙ってしまったのだろう。(もしかしたら誰かがポロっと言っていたかもしれないがそんなに声高には言われなかった)。

私にもそれくらいしか理由は考えられない。日本国憲法や官僚制がずっと維持されているのも同じ理由である。日本というのは、天皇陛下という、非常に漠とした得体の知れない、人畜無害だが容易に近づくことが許されない不思議な存在によって、文鎮のように押さえられているのである。

もしかしたらこんな文鎮はなくてもいいかもしれないと誰もが思ったことだろう、しかし、戦国時代も、江戸時代も、敗戦と占領も通り抜けて今に至るまで持続していて、いま日本の社会でまともな生活をしている人で天皇制を公然と否定できる人はいないはずだ。せいぜいが疑問を呈したり無視したりする程度である。

私は天皇制と日本は切っても切れないものであるのだと、ほとんどあきらめている。もし天皇制を廃止することになるなら、その時はもう日本という国自体が不要になるときだ。アジア諸国連合とか、あるいは環太平洋諸国連合とか、連邦制のようなものになるときだ。そして、近いうちにそうなるであろう。

「日本が生き残るためには」などという、よくわからない「ナショナリズム」に基づいて考えているうちは天皇制はなくすことはできない。そのような動機でいる限りは、天皇を首謀として戦乱でも巻き起こして惨敗して他国により処刑されない限り天皇制を廃することはできないであろう。