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2011年11月10日木曜日

「思う」について

ビジネス(私はこの言葉が嫌いだが)では、「思う」という言葉は禁句になっているが、これを単に「考える」とか「認識している」と言い換えているだけの人が多い。私はこの手の、言葉を記号のように、コンピュータに対する命令のように扱う人々にウンザリしている。私も若い頃は「思う」はよくないと思って使うのを避けていたが、最近は馬鹿らしくなって使うようになった。「思う」というのは何もファンタジーとか想像とかのようなポワーンとしたものだけを言うのではない。自分の考え、認識を表明する動詞なのである。

「これはAだ」と言い切ってしまえればいいが、言い切れない場合もあるだろう。そもそも仕事と言うのは、「AをAである」ことを説明するためにするようなものだ。最初からAであることがわかりきっているなら、ミーティングも確認も必要ないのである。「思う」と言うと、「あいまいだ」とか「主観だ」とか言われるが、断定すればまた「根拠は」などといわれると、人は何もいえなくなる。実際、仕事をしていて何も言わない人が多い。特に若い人。わからないことや不確実なことについて「わからない」と言うことは正直でいいのかもしれないが、だからといってそれをわからないまま放置するのもよくない。

私は30歳くらいからその辺のことを悟って、「多分」とか「思う」とかいう言い方をドンドン使うようにした。また、根拠のない予想や仮定もジャンジャン言うようになった。そしてそれを検証していくのである。

わからないこと、不確実なことを避けてしまうと何もできないからだ。
仕事なんて、100のことをして2,3が残るくらいのものだ。

10のことをするのに10だけやって済むなんてことはまずない。ましてや、3のことをやって10の事ができるなどということは絶対にない。

しかし、世の中にはそういう人が多すぎる。それが効率であると勘違いしている。
効率化なんて、後片付けのようなものだ。

何もしてないのに後片付けをしようとする人が多い。