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調子に乗ってる彼

今関西地方のある地方公共団体の首長の言動が話題になっている。私は彼が具体的に何をめざしているのか詳しいことはよくわからない。ただひとつ言えるのは彼の言動が不愉快極まりないということだ。彼が何かを言うときに必ずだれかをけなし、ひとでなしの諸悪の根源であるかのように言う。それがひとりやふたりではない。何かするとき、何か言うときに敵対するものはすべてそのように扱うのである。彼がまだ一介の弁護士兼タレントであった時に、申告漏れだかなんだか忘れたが、彼について週刊誌に書かれたことについて彼のブログで2ちゃんねるでしか見られないような汚い言葉で感情的に記者をけなしているのを読んで、なんかヘンな奴だなと軽蔑したのを覚えている。彼が出演する番組はよく見ていて確かに弁舌が達者ではあるが笑わせようとする話では全く笑えず彼に突っ込む司会者によってやっと笑いが成立していた。

彼がかなり過激な、急進的というのか、改革をすすめていることはニュースなどでもチラホラ聞いていた。そしてある時、インターネットで関西でしか放送されない番組で彼が例によってある人間をクソミソにけなしている動画を見た。その時彼は、いかに自分が首長を勤める地方自治体が腐敗していてその腐敗した組織を立て直すには生半可なことではできないかを力説していた。彼ははっきりと「暴力的にならざるを得ない」と言っていた。

たとえば役人の給与が高すぎるとか、財政赤字が増加し続けているとか、確かに明らかにおかしいと言えることがあるのだろう。鉄道やらバスやらを民営化するとか言う話の中で彼は「市民全員が幸福になるようなことは一介の市長ではできない、それにしては市長の給与は安すぎる」などと言っていた。私はこの言葉についても非常に不愉快なものを感じた。政治に携わるものが、その報酬について安いなどと言った人間をいままでみたことがない。では報酬が高ければもっとよい仕事をするのか?報酬に照らし合わせて自分の政策を変えるのか?

彼は確かに今まで誰もできなかった改革をしようとしているのかもしれない。それくらいのエネルギーと知恵を持っているのかもしれない。でも、彼が今やろうとしていることは自分の理想を推し進めることだ。彼ははっきり暴力的という言葉を使った。彼は自分の政策に従わないものを解雇するというような発言をしたのも覚えている。

私は彼の政策ひとつひとつの是非をとやかくは言わない。しかし、今彼が戦っている人間たちも自分の理想を実現しようと努力してきたのである。その結果今のあの市の現状があるのである。現状に照らせば彼らは間違っていたといえるであろう。しかし、市でも都でも県でも国でも、こうすれば必ずうまくいく、などという方法は誰にもわからないのである。首長は選挙で選ばれるが、それはその首長の考えがすべて正しく彼が何もかもを決定する権力を持つと認めることではない。

たとえ今赤字が解消しても、彼が決定したことが今後どう間違った方向に進むかわからない。そうなった時に彼は自分で責任を取るのだろうか?取らないだろう。彼はその時には僕は独裁者ではない、僕はリーダーではあっても最終的な決定は議員によってなされ運営は役人がおこないそれを選んだのは市民だ、そもそも僕を選んだのも市民たちだ、などと言うのは目に見えている。

とりあえず、彼が言っていることでなんとか理解できるのは赤字の削減だけだ。何もかもがそこを目指している。そして私は首長の役目はそれではないと考えている。財政の黒字だけを目指すような運営は必ず失敗すると見ている。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。