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2012年1月17日火曜日

お客様

先日、「資本主義とはポリシーでなく状態である」ということを書いた。これは我ながらよく気づいたというかうまく整理できたと思う。

私がブログなどを書く時はいつもそうなのだが、これは頭の中で思いついてコレダ!と思って書き付けたのではない。書く前はもやもやと形はなかったものが、書いていくうちに形になってポロっと出てくるのである。

つまり構想も計画もなく、いきなり書き始めるのである。そして、小説家とか、お笑い芸人とか、映画監督とか、ミュージシャン、画家など、何かを創作する人の話を聞いていると、皆同じようなことを言っているので、多分正しい書き方であると思う。初めから何を書くかがわかっていたら、逆に言うと書く必要はない。よくモーツァルトが天才であることを語るのに、楽譜に訂正の跡がまったくなかった、という事が言われる。「アマデウス」にもそういうシーンがあった。この話を聞くと、モーツァルトの頭の中には曲がすでに完成していてそれをただ書き写すだけだったのか、と思うかもしれない。私も最初はそう思っていた。だが、おそらくそうではない。彼はもちろん作曲しつつ楽譜を書いていったのだ。創作していたのだ。もし、彼の頭の中で作曲が完了していてそれを本当にただ写すだけだったら、むしろその場合の方がミスしやすいのではないだろうか。すでに創作は終わっているのだからただの機械的な作業だ。退屈でしかたなく集中力も続かないであろう。

そして、ここからが肝心なのだが、私はこのことは芸術などの創作に限らないのではないかと考えている。多くの人は、この行き当たりばったりな創作方法はあくまでも芸術作品とか個人のブログのような思い付きの整理みたいな場合にしか適用できないと考えるのではないだろうか。たとえば会社の仕事では失敗の無いようにきっちりと計画して厳密に検討を重ねて慎重に実施する必要がある、と。だが、私はそうは考えない。仕事もやはり、創作と同様、後先考えずに開始し、進めて、終える。

私も社会人になりたてのころは仕事というものは計画に基づいてコツコツと進めるものであると思っていた。しかし、言われたことが撤回されてあと少しで終わるという時に最初からやり直したり、ひどい時にはやったことが不要になったりした。それが何度も何度も繰り返され、私はこの会社はひどいところだ、この上司は能無しだと思っていたが、その後いろんな職場でいろんな上司や顧客を見ていくうちに、仕事とはそういうものなのだ、と理解するようになった。

私はこのやり方が正しいと信じているが、最近このやり方で苦労をするようになった。特に若い人と一緒に仕事をすると、私のやり方についてこれないのである。若い人というのは経験不足であるし依存性も強いので、上司や先輩の言われたことをそのままやろうとする。この時に、先輩として若者を育てる方法は二つある。ひとつは、最初なので細かく指導しとにかく覚えさせ、だんだん指導を減らしていって最終的にひとり立ちさせる方法。もうひとつは、指導はそこそこにしてとにかくやらせてて失敗させつつ体で覚えさせるやり方。

若者はほぼすべての人は前者を望む。また、育てる側も前者が理想と考えている人が多いようだ。後者の体当たり式が適用されることがあってもそれは育てる側が忙しかったり育てる気がなかったり単にめんどくさかったり、ひどい時にはイジメ感覚でおこなわれることもある。

だが私は今まで数々の職場で様々な人間を見てきて、手取り足取り教わって成長していった人間など見たことがない。私が言っているのは役職がつくとか給与が増えるとかの単なる「出世」のことではない。能力がある人は「出世」しやすいだろうが、出生しているから能力があるとは限らない。職場には、誰が見てもこの人がいないと回らないと言うキーパーソンがいるだろう。それは組織上のリーダーであるとは限らない。リーダーはもちろん重要であるが、実際に問題にぶつかり解決していくのは特に今の日本の会社ではリーダーではない。

私が「成長」といっているのは、社会人になりたての若者がそのようなキーパーソンになることを言っている。そのような成長は、どんなに教えても教えられるものではなく、むしろ教えすぎると何も考えなくなって成長しない。


誤解して欲しくないのは私のやり方はいわゆる丸投げとか放任と呼ばれるものではない。私は仕事をするのに十分ではないとわかりつつ、仕事を託す。しかしそれは面倒だからでも成長させるためでもない。仕事を依頼する相手に切り開いて欲しいからだ。仕事のゴールは決まっていても方法はひとつではない。また、ゴールもあくまでも暫定で、途中で変わるかもしれない。

このやり方で戸惑う人には、あるモノが欠けている。それは勤勉さでも組織に対する忠誠でもない。顧客の意識である。顧客とは取引先ではない。自分がしている仕事によって提供される製品あるいはサービスの利用者のことである。それがわかっていれば、ゴールはおのずと定まる。上司や先輩として教えるべきなのは、誰が顧客であるかということくらいである。


しかし、若者は、特に私が最近接した幾人かの若者は、顧客というものをまず意識しない。会社に対する忠誠心はすさまじいのに、その会社の顧客についてはまったくといっていいほど意識がない。むしろ敵視している。あくまでも、上司や先輩が言うから、顧客を重んじるようなフリをするだけである。

顧客のことを思え、などというのは、教えられるものではない。これは命令して思わせるようなものではない。これがない人間には何も根付かないだろう。