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2012年1月7日土曜日

悪人は死ぬべきか

私はオウム事件に非常に衝撃を受けた。多くの人が彼らに怒りを覚えているだろう。十数人の死刑が確定している。だが、多分私が受けた衝撃と一般の人が受けた衝撃そして怒りは違うものだ。

私があの事件で衝撃を受けたのは、「この世で善行を積まず悪事を働く人間は殺してあげた方がその人の為である」という思想についてである。

「ポア」とか、ヴァジラヤーナサッタ?とかいうものである。

「人はこの世に修行するために生まれてきて、死後に行くところは生前の行いによって決まる」という考えは特に珍しくなく、よく聞くものである。
それ自体はなるほどね、フーンと言うくらいでそんなのおかしい、と怒るようなことではないが、それが本当なら先ほど述べた、「悪人は殺してやったほうがいい」という考えも正当化される。

「ポア」された人のやっていたことが善か悪かというのも問題である。
たとえば殺人は皆悪事だと言うだろうが、家族などが襲われそうになったときに殺人者と戦って殺すような場合は正当防衛と言って単なる殺人とは区別される。

オウム真理教のポアも、彼らに言わせれば同じような理屈を言うだろう。要するに、われわれと彼らでは、善悪の基準が異なるのである。

オウム真理教の信者たちが引き起こした事件、拉致殺害、サリン噴霧などについては誰もが間違いなく悪であると、悪いことであると認めるだろう。だが、そんなことであっても、裁判を行って何年も、20年近くもかけて、ようやく悪であることが認められるのである。

そして実行犯や首謀者達は死刑になろうとしている。

この死刑と、彼らがおこなったポアと、何が違うのだろうか?

懲役は更生という目的があるが、死刑によって罪人はどうなるものと考えられているのか?
単に社会にとって有害で不利益な存在であるから殺害という社会からの抹殺処分として行われているのか?まさか、死んだ方が彼らにとって幸せだということで殺しているのではあるまい。


「悪いことをしたら罰を受けるのは当たり前だ」という言葉があるが、これはオウム真理教のポアの思想と全く同じくらい、根拠のない考えである。

死刑を除き、日本で(ほかのほとんどの国でも)罪を犯して懲役を受けるのは文字通り「懲らしめ」の為であるのか?それなら、まさに「目には目を」のように、犯人に苦痛を与えるなり刺青をいれるとか指を落とすとかすべきではないか?そういうことをしていた時代や国もあったようであるが、現在はそのような事はされない。罪人はただ法律にしたがって裁かれるだけで、人として何の欠陥を宣告されるわけでもない。むしろ、何か欠陥がある場合は無罪になりさえする。

逮捕され、起訴され、有罪判決を受けた人が軽蔑されるのは、あくまでも人の感情や信条によるものである。

私もそうであるが、多くの人が、何かひどいことをした人、みっともないこと、ずるいこと、卑怯なことなどをしたのを見た時に『こんな奴死ねばいい』と思ったことがあるだろう。

凶悪な殺人犯などが死刑になったときに『当然だ』と思うだろう。死刑にならなかったら、『何でこんなひどいことをして死刑にならないんだ』と憤ることさえある。


私が衝撃を受けたのは、オウム真理教の犯罪はそのわれわれがいつも抱いている善悪とその報いの思想を、「無邪気」に実行してしまったことに対してである。

そう、私は彼らに「無邪気さ」を感じた。「悪いことをした奴は死んでしまえ」というのは子供の発想である。普通の大人はそんな考えを持たなくなるが、それは自分に人を裁いたり殺す資格がないことに気づくからであって、その考え自体を否定するからではない。



私たちが心の中で、あるいは誰にも聞こえないときには口に出して『こんな奴死んじまえ』と言うが本当に殺したりしないのは、別に理性が制御しているわけでもなく、悪人だからといって命まで奪われることはない、と考えているのでもなく、その人がやった『悪事』が、本当に悪なのかを確信できないからではないのか。

われわれは誰もがきっと、「私は善悪の基準を知らない、何が正しくて何が間違っているかは私には判断できない」と言うだろう。

では、それがわかる人がいるだろうか?もしくは、修行でもいい、勉強でもいい、人類史上最高のIQを持ち、人格もすばらしい聖人のような人間が現れたとして、そんなことはありえない、ということはおいておいて、仮定として、そのような完璧な善悪をわきまえた人物が現れたら、その人は悪人をどうするだろうか?片っ端から死刑にしていくだろうか?

・・・おそらく、しないであろう。多くの人がそう思うのではないだろうか。だから、オウム真理教がやったことに対して怒ったのである。われわれが怒ったのは、間違った善悪の基準に対してではない。その基準が正しいかどうかはさておき、殺すというのはひどい、という理由である。

私もそうだと思う。完璧な人間がこの世に降り立ったら、悪人を裁いて殺しまくるようなことはないだろうと思う。


私は死刑には反対なのだが、いつごろからそう考えるようになったのかよく覚えていない。オウムの事件の前からだったと思うのだが・・・

というわけで、私はたとえオウム事件の実行犯や首謀者であっても、死刑にすることは賛成か反対かと言われれば反対である。

でも、別に署名運動をして彼らの死刑をやめさせようとか、日本の法律や司法は間違っているなどというつもりもない。まあ、あれだけの事をしたら死刑になるわな・・・と、傍観しているのみである。でも、「あんな悪事をしたのだから死刑を受けるのは当然だ」などということを、公的な立場でコメントするようなことは絶対にできない。