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2012年2月20日月曜日

芸術商品論

お笑い芸人と放送作家、小説家と編集者、ミュージシャンとプロデューサー、野球選手とエージェント・・・。

こういう関係がある。私が見たり聴いたりするエンターテイナーやアーチストと呼ばれる人の背後にこれらの人々がいて、かなり重要な役割を果たしている。

今までも、そのような人々の存在を全く知らないわけではなかった。でも、そういう人たちは演者の才能のおこぼれにあずかっているだけであり、実際は演者が大金を動かしているのだと思っていた。

しかしその考えがかわりつつある。プロデューサーのような人々の果たす役割がかなり大きいことがわかってきた。そして最近は、もしかして芸術家というのは商業的には全く無価値なのではないかとさえ思えてきた。

それは、芸術を否定するのではない。文学、映画、お笑い、漫画、音楽、演劇、どれもすばらしいものは本当にすばらしいと思うし、なくてはならないと思う。でも、そのすばらしさと商業的な価値、つまりおカネになるかどうかは全く別の話なのではないか。


先日テレビである有名お笑い芸人がコント番組をやることになり、その企画会議の様子が放送されていた。そこでその芸人は次々に自分のアイディアを話していく。周りにいる放送作家たちがそれを聞いて笑いながらメモを取ったりしている。

そして後日実際にコントを収録することになって、芸人はセットや小道具を見て感心したりしている。当然だが、それらを作ったのは芸人自身ではない。さらに彼は、台本も書かない。台本は放送作家が書くのである。かれは案を出して演ずるのみである。


私が日々楽しんでいる音楽は、アーチストが作り出したものなのか、プロデューサーが作り出したものなのか。つまり、芸術品なのか、商品なのか。ということが、わからなくなってきた。

私はずっと、芸術というのはアーチストが生んだ希少なものに、せいぜいパッケージしたり宣伝したりする程度のことを施されていると思っていたのだが、プロデューサーとか編集者というものは、アーティストにこんなことをやったらどうか、こういう方向性で行ったらどうか、ということを提案したり指示したりするようだ。

主にテレビで活躍するアイドル歌手などは、ほとんど自分の意志と関係なく、言われるがままに歌わされ踊らされている。それはテレビだけだと思っていたが、どうやら小説家やミュージシャンにもそういうところがあるようなのだ。

私はそういう内幕を知ると、なんだか興ざめする。ある天才が創り出した作品を鑑賞しているのではなく、金儲けのために企画された商品を消費していただけだったのかと、アーチストというのは金儲けの為に製造される商品の一素材にすぎないのかと。

もちろん本当の天才、本当の芸術というのは存在する。でもきっと、その芸術そのものには経済的な価値は全くないのだ。私たちが芸術鑑賞において金銭を払うのはアーチストに対してではなく、その芸術を商品化して一般人が鑑賞できるようにした人々に対してが主なのである。