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独裁者

ひょんなことから北朝鮮について調べた。
別に仕事でもなんでもなく、純粋に興味を持ったのである。
今まで北朝鮮といえば、金正日、金正恩くらいしか知らなかった。
が、ニュースで見る映像や写真の周りにいる人が気になったのである。

きっかけはpicasaの顔認識機能であった。
たまたま保存してあった北朝鮮関連の映像の写真から、勲章をたくさんつけた老いた軍服姿の人物などの顔が抽出された。

独裁国家といっても、組織があって軍隊や党を統率する人間がいる。下っ端役人もいる。
その人事について話題にもなる。
日本で誰が総理になるとか大臣が辞めたとかニュースになるように。

北朝鮮の軍人や役人や幹部たちも、毎日寝起きして食事をしている。
「将軍様」に指示されたり、自分から提案やアドバイスをしたり。
おそらく後者の方が多いだろう。
顔写真を見ていても、ごく普通の、頭のよさそうな日本にいれば優秀なビジネスマンになったであろうような顔ぶれである。
なかにはゾっとするような冷徹そうな人物もいないこともないが・・・。


そして、北朝鮮の歴史をさかのぼるように調べていった。
北朝鮮は1948年に「建国」された新しい国であるから歴史といってもたいしたものはない。
ただ、北朝鮮を他の国々と同様のくくりで捉えるのは少し無理がある。

これは北朝鮮に限らず、私は最近痛感しているのだが、「日本」、「アメリカ」、「中国」を同じ「国」という概念で並列して扱うのはムリがあると思う。

特に、「アメリカ合衆国 (United states of America) 」については、世界で唯一の特殊な存在である。アメリカが「世界の警察」になっているのには理由がある。これはまたの機会に述べたい。


北朝鮮というのは1948年にポコっと突然現れた国ではない。そこに暮らしていた人々が急に独立心に目覚めたわけでもない。朝鮮半島で仲間割れが起きたのでもない。

北朝鮮の歴史を調べよう、と思って、あらためて当時日本が朝鮮半島を統治していたということを思い出す。

日本が戦争に負けて撤退する。
するとまるで朝鮮半島を米ソが奪い合うように南北で「建国」が起きて、2国間で戦争が起こる。
この戦争は「米ソ」、事実上は「共産主義と自由主義」の対決だと、理解されている。


というわけで北朝鮮について調べていくと、スターリンに行き当たる。
北朝鮮でも粛清や強制収容所の話があって恐ろしいなと思ったものの、スターリンのおこなった粛清の前には茶番に見える。
というか、逆にスターリンの粛清の方が大規模すぎて現実感がない。

スターリンに関するwikipediaの記述を一通り読んで、呆れて、いったいどうしたらこんな人間が生まれるのか、どうしたらこんな人間が一国を支配し、世界を股にかけて活躍するのか・・・・と不思議に思う。

そして、どうして「共産主義」というものがあんなに猛威をふるって各地に独裁者を生み粛清や虐殺をおこなわせたのかと、あらためて考える。

もはや、怒りすらわかない。ただただ、不思議だと思うばかりである。
ナスカの地上絵とか、ピラミッドとか、イースター島のモアイ像などのように、
不思議な、理解を超えたものである。


おそらく、そう感じるのは大勢の人間が、個々がそれぞれ独自に考えて行動した結果引き起こされた事件を、あたかも一人の人間が意図して計画して実現したかのように、後世の人が勝手に思い込むからだ。

独裁者達は確かに存在して、自分たちの偏狭なあるいは未熟な思想を実現しようとしたのだろう。しかし、独裁者といっても一人の人間だし、たくさんの部下を使って、自分もかつては誰かの部下であったり使い走りのようなことも経験し、人に使われ人を使って、親もいるし恋もするし、結婚して子供をもうけたりもしたのである。

独裁者とはいえ、世の中思うままにならないなあと思っていただろう。
自分が独裁者だなんてとんでもないとさえ思っていたかもしれない。
「自分は世界で一番惨めで弱い人間だ」と。


今回北朝鮮について調べてみて、ニュースで騒がれる金正恩の周りにはたくさんの「優秀な」ブレーンがいて、実際には彼らが実務をおこない国を、世界を動かしているのである。「独裁者」と言われるような人間も同様である。おそらく、独裁者であればあるほど、自分は何もしないのだろう。

もしかしたら、「独裁者」というものは、そのときの混乱の責任を負わされただけなのかもしれない。
あるいは、その混乱を巻き起こした張本人なのかもしれない。
だが、やはり、ただ一人の人間に、何百万人もの人間をアリでもふみつぶすように殺すことなどできるものではない。そういう粛清や虐殺を引き起こす原因は、一人の独裁者以外にいくつかあるはずである。むしろ独裁者はそれらの複数の条件が整ったところに自然に湧き出てくるようなものではないか。

過去の独裁者列伝を見ているとそんなふうに思えてならない。


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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
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グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。