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2012年9月11日火曜日

簡潔な文章とは

最近、職場の後輩に文章の書き方について注意をした。

「文章」と言っても、メールのことである。

彼の文章は言葉足らずで、「AはBです、CはDではありません。」
というようなことしか書かない。

「AはBなのでオッケーです。」「CはDなのでヤバいっす。」
というように事実とそれについての自分の判断や意見を書かない。

そして、人の言葉をまねる。だれかが書いたメールの文章をマネて、
単語だけ置き換えるような書き方をする。


私はちょくちょく、彼に質問した。
「このメールだけど、AはBですって書いてあるけどそれでいいの?」
「昨日はAはBだったのに今日はCになってるけどどっちが正しいの?違ってていいの?」

最初はこれだけであった。
それは、私にとっては「指導」「アドバイス」のようなものであった。

しかし彼は私の質問に対し、単に答えるだけで、
自分の書いた文章が説明不足であるとか誤解をまねく表現をしているなどとは思っていないようであった。

もしくは、私が彼を困らせる、あるいは彼のしたことを批判するようなつもりで言っていると思っているのか、困ったような顔をして答えないときもある。

私はだんだん語気を強めていった。

私は、どうも彼は「ビジネス文書は簡潔であるべき」ということにこだわりすぎているのではないかと思い始めた。

それはよく言われることであるが、「簡潔」というのは非常に難しいことである。
たしかに簡潔な文章は読みやすいが、そう簡単に簡潔な文章など書けない。

文章というのは、積み木のようなものではなく、彫刻のようなものだ。

積み木は積み増すことによって情報量が増していくが、彫刻は削ることによって情報量が増していく。

私が指導した後輩の文章はほとんど削られていない木片のようなものである。
見ようによっては「簡潔」である。
だが、そこには何の情報もない。
木片の角がひとつでも欠けていれば、「おや?」と思う。

「簡潔な文章」というのは、それを書く作業が少ない文章のことを言うのではない。
読み手にとっての作業が少ないものを言うのである。



短ければ簡潔なのではない。

・・・だ、・・・・である、という文体にすれば簡潔なのでもない。


「簡潔に」「要点を言え」というのは会社でよく言われることであるが、
それは非常に難しいことなのである。

人がしゃべったり書いたりするのは何か伝えたいことがあるからであり、
「AはBだ」だけでは不十分だからいろいろと加えるのである。


あと、「箇条書きでいいから」というのもよく言われる。
箇条書きの方が簡単、とされているのだ。

だが、私は「箇条書き」を好まない。
箇条書きをするにはある程度の整理や分類が必要で、
わたしにとっては面倒だ。

読むのも嫌いだ。

事実を羅列されるほどムカつくことはない。

「で?」
といいたくなる。



その、私が指導した後輩にも言ったことなのだが、
メールの文章なんかたかだか数百字。
原稿用紙1枚にも満たない。

多少文章が長くなったくらいで別に業務に差し支えるほどの時間のムダにはならない。

むしろ、暗号のような短い文章によって引き起こされる誤解や私がするような質問とか指導が発生することの方を気にするべきである。