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2012年9月11日火曜日

確率論

こないだモンティ・ホール問題について考え、それについて書いたブログの記事を読み返していて気づいたことがある。

私は、3つのドアから一つを選んだ後で、「自分が当たりのドアを選んだ確率」という言い方をした。

これは「確率」ではない。

わたしはすでにドアを選んでおり、そのドアの後ろにはヤギか車のどちらかが必ずいる。その後モンティ・ホールがのこりのドアの一つを開けようが何をしようがそれはかわらない。

確率というのは、何かを複数回、とくに多数繰り返すような場合、その結果について、特定の状態が成立する頻度を言うのである。

確率でよく題材にされるのは、サイコロ、複数の玉やカードから一枚選択する、などである。

サイコロは正六面体である。実際には多少のゆがみや偏りがあるかもしれないが、ほぼ正六面体でないとサイコロとして使えない。

たとえば、あなたの前に誰かがいて、あなたに見えないようにサイコロを振ったとする。そしてあなたに、「今何の目が出たと思う?」と質問した。

この時に、「1の目である確率は1/6」というのは正しくない。

確率というのはすでに起きてしまった事について、特定の状態であるであろうその強さをいうのではない。

そういう場合は「蓋然性」という言葉を使うのが正しいようだ。
だが、「蓋然性」という言葉はあまり一般的とは言いがたく、会話中に「そのガイゼンセイは・・・」などと言ったら「ハァ?」と聞き返される確率が高い。


似た言葉に「可能性」というものがある。
殺人事件が起きて犯人がわからないときに不審な人物が職務質問されたということがあったときにニュースキャスターは「警察はこの男が犯人である可能性が高いと見ています」などと言う。

日常会話でも使う。「この計画は失敗する可能性が高い」などと。
だが、「可能」性なのに「失敗」するというのは何か変な感じがする。




確率に戻ろう。

単にサイコロを振るだけだと切迫感がないのでロシアンルーレットで例えよう。
リボルバーの拳銃に弾はいくつ入るのだろう?6個とか8個とかだと思う。
8個だとしよう。

いや、今調べたらコルトパイソンは6個だったので6個にしよう。

ご存知の通りロシアンルーレットとは拳銃に弾を1個だけ入れて、代わりばんこに自分の頭に銃口をつきつけて引き金を引くというゲームである。

あなたはロシアンルーレットをするはめになった。
仲介人がリボルバーの弾倉(シリンダー)をジャラララッと回してあなたに渡した。
あなたが引き金を引くと弾が出るかいなかはあなたも、相手も、仲介人も知らない。

弾倉には弾が6個入って、そのうちの1個だけに弾が入っているのだから、弾が出る確率は1/6である。サイコロと同じだ。サイコロを振って1が出る確率と同じだ。1/6だから、出ない確率の方が高い。

しかし、これはロシアンルーレットである。サイコロを振ってどの目が出るか、などという悠長な問題ではない。出たら100円もらえるとかいうギャンブルであったとしても命を懸けたギャンブルとは比較にならない。


あなたは銃を受け取った。もうあなたの運命は決まっている。1/6という確率は過去の話だ。あなたの運命はすでに決まっている・・・・・。