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クラウドって何?

私はいわゆる「IT」の仕事をしている。
もう20年以上になる。

もっとも、20年前に「IT」などという言葉はなかった。
「情報処理」とか「ソフトウェア産業」とか「コンピュータ関係」などと呼ばれていた。

コンピュータにおいて通信の役割が重要になってきたのは、いつ頃だったろうか。
決定的でよく覚えているのは1995年のWindows95の登場だった。
95によって一般人にインターネットが広まったといっても過言ではない。

ただ、インターネットの前に「パソコン通信」という世界があった。
私はNifty Serveを利用していた。

そして業務においては、コンピュータによる通信を「オンライン」と呼んでいた。
たとえば東京の本社と大阪支店の間で売上データをやりとりするなどである。

「オンライン」というものは、私が社会人になって2,3年で非常に重視されるようになった。

「ネオダマ」という言葉があった。これは「情報処理」界で注目すべき4つの新しい動向のことで、
「ネットワーク」、「オープン」、「ダウンサイジング」、「マルチベンダ」の頭文字である。
「ネオダマ」という言葉を初めて聞いたのは、1992年頃だったかな・・・・
勤めていた会社のある課長さんが何かのドキュメントに書いていたのを見たのだが、「なんだよネオダマって。頭文字とってくっつけただけで意味ないじゃん」と笑っていたのだが、世間でも使われていることを後で知った。


「IT」という言葉が使われるようになったのはいつ頃だろうか・・・。
Windows95が出た頃は、少なくとも私は使っていなかった。
1998年ごろ私がいた会社では、部署名に「IT」という文字が入っていたような覚えがある。
私が自分がしている仕事を「IT」だと言うようになったのは本当に最近、2010年くらいからだ。

今調べたら2000年に森首相が「イット」と読んだという。その頃は私はITという言葉は知っていたが、自分がITギョウカイにいるといわないのはもちろん、「IT」という言葉を使うこともしていなかった。


今では「IT」というのはソフトウェアとかコンピュータのことではなく、ネットワークつまり通信のことだといっても過言ではないくらいになった。そして、「クラウド」というものが現れた。

実は私は「クラウド」のことがよくわからない。

最近はなんでもかんでもインターネットを使うようになった、メールもパソコンでメーラーを使うのではなく、gmailなどのようにサーバ上でそのまま送受信をし、データもローカルに保存せずサーバに記録し、アプリケーションさえパソコンではなくサーバ上で実行するようになった、それは知っているというより身をもって体験してきたことだ。

しかし、それを「クラウド」と呼ぶのかと言われると、ちょっと困る。
広義ではgmailの利用もクラウドコンピューティングと言えるだろう。

クラウドというのは雲のことで、ネットワーク図を書くときにインターネットを「雲」として描いていた。
文字通りの雲、マンガで回想するときの吹き出しのようなものである。

なぜインターネットを雲として描いたのかはよく知らないが、インターネットというのは無数のコンピュータが網の目のように接続されていっこのカタマリとして存在しており、個々の装置やその間の配線などは把握しきれずまた考慮する必要もない、ということだった。

また、インターネットでなくても、ある程度の数のコンピュータが接続されたひとつのネットワークは雲として表現された。

そしてそのような雲であるネットワーク上でのコンピュータの利用を「クラウドコンピューティング」と呼ぶようになった。

昔は、昔といってもまだ10年くらいしかたっていないが、ネットワークにあるコンピュータのことを「サーバー」と呼んでいた。今でも呼ぶ。そしてサーバを利用するコンピュータの使い方を、「クライアント・サーバー」システムと呼んだ。

私にとっては、gmailとか、yahooとか、twitterとかは皆、「サーバー」である。
世間で言う「クラウドコンピューティング」というのは「サーバーコンピューティング」と言ったほうが自分のイメージに合う。

ではなぜ「クラウド」と呼ぶのだろうか?
それはおそらく、1台ではないからだと思う。
WWWサーバでも、メールサーバでも、ある程度の規模のものはたいてい複数台で構成されている。それは多重化とか冗長化とか言われる。

多重化とは複数台のコンピュータを組み合わせて1台のコンピュータのように動作させることで性能向上を図るもの、冗長化とは故障したときに切り替えてサービス停止を防ぐものである。

また、利用者がサービスとして使うWEBとか、メールとか、SNSなどは、複数の役割をもったコンピュータ等を組み合わせて構成されている。利用者を管理する名簿のような役割をもつデータベース、アドレスと名前の変換をおこなう名前解決サーバ、ユーザのコンテンツを保存する記憶装置など。

それらの多種多数の装置が組み合わされて提供されているサービスについて、利用者はその詳細を知る必要なく、遠いところに雲のようなカタマリがあって、そこに何かをリクエストすると何かが返ってくる、そういうものが「クラウド」と呼ばれる。


・・・何を書こうとしたのかわからなくなった。
とりあえずクラウドについての整理でした。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


くしゃみの後の咳

わたしはときどき、くしゃみをした後に咳き込むことがある。
あまり体調のよくない、前日に飲みすぎたときなどによくなる。

これは、くしゃみをするとタンがでかかるのだが出し切れずにヘンなところにとどまり、
それを出そうとして起きているようだ。

これがとてもつらい。咳払いをしたり、水を飲んだり、うがいをしたりするがどれも即効性はなく、
しばらく待つしかない。

以前は、くしゃみをするとタンが口から飛び出して壁などに張り付いたものだったが。
もっと前は、そもそもタンなど出なかった。