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11月, 2012の投稿を表示しています

南無阿弥陀仏

私の父の墓には「南無阿弥陀仏」と刻んである。○○家之墓などとは書いていない。これは浄土真宗のやり方である。浄土真宗では、むしろ「○○家」などと書くほうが不適切だと言われる。ただ、浄土真宗というのは戒律というか、タブーのようなものがほとんどない。非常に自由で、ただ阿弥陀仏に帰依するということを「南無阿弥陀仏」というおまじないのような文句で唱えさえすれば、極楽浄土に往生できるという、教えなのだ。開祖と言われる親鸞は肉食妻帯したのは有名だ。また、「いわんや悪人をや」の悪人正機説、親鸞自身が「死んだら川に捨ててくれ」などと言ったというエピソードもある。わたしは、これはキリスト教でいうプロテスタントのようなもので、信仰のみが重要で、イエスを救い主であると告白さえすれば救われるというのと、非常によく似ていると思った。

我が家の宗派が浄土真宗であるというのはそれまで知らなかった。実はほんとうに真宗なのかというのさえあやしい。ただ、私はそんなことはどうでもいいと思っている。私は宗教なんかインチキだとか、弱者のよりどころだとか、迷信だとか、権力者が民衆を支配するために利用したのだ、とかいう考えは大嫌いで、神様を信じているし、お墓参りも好きだし、教会や神社に行くのも好きである。しかし、仏教については、やや否定的な考えを持っている。仏教の「無」という考えが嫌いなのだ。実際の「無」は深遠な思想なのかもしれないが、それは行き着くところは唯物論ではないかと思えてしかたがない。

父が死んで、葬式をして、墓を建てるにあたって、歎異抄とか、柳宗悦の南無阿弥陀仏とか、ダライラマの密教入門とかを読んで、般若心経を暗記したり、阿弥陀経なども読んでみた。また、父は昔からブッダとか、正法眼蔵とかの本をよく読んでおり、わたしも父の書斎にしのびこんでそういう本をちょこちょこと読んだりしていた。しかし、そこで言わんとしていることは、生きることは苦であり、修行であり、欲望は悪いものであり、飲食や性欲はもちろん、親子や夫婦の愛さえ執着であるという、ニヒリズムであった。そう考えたら、楽かもしれないが、生きる意味もなくなる。わたしは、そういう生を否定する思想はどうしても受け入れられなかった。そして、多くの人が宗教というものがそういうものだと考えているのを知っている。しかし、神を信じることは、生を肯定することなのである。…

川に流される夢

最近見た夢。

川に流されている。海水浴で使うようなビニールのボードに乗っているのだが、下半身は水に浸かっている。

流れはけっこう速い。冷たいとかいう感覚はない。流されているのは私だけでなく、団体で、私はその最後尾の真ん中あたりにいる。

目的地は不明だが、私は当然のように流されている。

だんだん、下半身が水に浸かっていることが不安になってくる。

そしてついに、水中に落ちてしまう。水中で、誰かの体が見える。当然息ができない。なんとか浮上しようとするが動けない・・・・という所で目が覚めた。


私は夢を見たときはいつもインターネットの夢判断サイトを調べるが、この夢は思い当たるところがなかった。

ただ、このように自分の思いでなく乗り物に乗って何処かへ行く夢はよくみる。だいたい、途中でコントロールが効かなくなって慌てる。

仕事のことかな・・・。

ご挨拶

今まで書いていたblogは読書録になってしまったので、徒然ブログとしてこのブログを作った。以前は自作の「掲示板」を使っていたのだが、ブログで十分なのでこれからはこちらに書いていく。