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2012年11月23日金曜日

南無阿弥陀仏


私の父の墓には「南無阿弥陀仏」と刻んである。○○家之墓などとは書いていない。これは浄土真宗のやり方である。浄土真宗では、むしろ「○○家」などと書くほうが不適切だと言われる。ただ、浄土真宗というのは戒律というか、タブーのようなものがほとんどない。非常に自由で、ただ阿弥陀仏に帰依するということを「南無阿弥陀仏」というおまじないのような文句で唱えさえすれば、極楽浄土に往生できるという、教えなのだ。開祖と言われる親鸞は肉食妻帯したのは有名だ。また、「いわんや悪人をや」の悪人正機説、親鸞自身が「死んだら川に捨ててくれ」などと言ったというエピソードもある。わたしは、これはキリスト教でいうプロテスタントのようなもので、信仰のみが重要で、イエスを救い主であると告白さえすれば救われるというのと、非常によく似ていると思った。

我が家の宗派が浄土真宗であるというのはそれまで知らなかった。実はほんとうに真宗なのかというのさえあやしい。ただ、私はそんなことはどうでもいいと思っている。私は宗教なんかインチキだとか、弱者のよりどころだとか、迷信だとか、権力者が民衆を支配するために利用したのだ、とかいう考えは大嫌いで、神様を信じているし、お墓参りも好きだし、教会や神社に行くのも好きである。しかし、仏教については、やや否定的な考えを持っている。仏教の「無」という考えが嫌いなのだ。実際の「無」は深遠な思想なのかもしれないが、それは行き着くところは唯物論ではないかと思えてしかたがない。

父が死んで、葬式をして、墓を建てるにあたって、歎異抄とか、柳宗悦の南無阿弥陀仏とか、ダライラマの密教入門とかを読んで、般若心経を暗記したり、阿弥陀経なども読んでみた。また、父は昔からブッダとか、正法眼蔵とかの本をよく読んでおり、わたしも父の書斎にしのびこんでそういう本をちょこちょこと読んだりしていた。しかし、そこで言わんとしていることは、生きることは苦であり、修行であり、欲望は悪いものであり、飲食や性欲はもちろん、親子や夫婦の愛さえ執着であるという、ニヒリズムであった。そう考えたら、楽かもしれないが、生きる意味もなくなる。わたしは、そういう生を否定する思想はどうしても受け入れられなかった。そして、多くの人が宗教というものがそういうものだと考えているのを知っている。しかし、神を信じることは、生を肯定することなのである。生を肯定するなら、神を信じるしかない、というのは、わたしがある時に到達した結論である。それはほとんど、悟りといってよかった。悟りとは、すべてを否定するような、すべてが虚像であるとみなすようなイメージがある。しかし、本当の悟りとは、すべてを肯定することなのだ。無ではないのだ。

わたしは、般若心経を暗記したときに、「これは、なにもかもが無だと言っているようだが、実はそんなに無だといってもどうしても否定できないものだということを悟らせようとしたのではないか」と考えたことがある。仏教は嫌いだと書いたが、阿弥陀仏の話は好きだ。正確にはおぼえていないが、阿弥陀仏は昔インドにいた人間で、王様だった人だそうだ。その人が、迷える人を救おうと思い立ち、修行をしたのか、誰かに祈ったのかして、仏となって、「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば、極楽に行けるようになった、というのである。やっぱりキリスト教に似ている。みんなが修行を積んで、まるでスポーツのように訓練して解脱するのではない。ひとりの人が代表して極楽への道を切り開き、その人が苦労を一身に担って、いわば極楽を開放したのである。後から来た人は苦労することなく、極楽にいけるのである。わたしはこういう話は好きだ。「解脱は教えられない。自分で悩んで苦しんで俺の境地に登ってこい」というような話は滅入る。


父が亡くなったのをきっかけに、私は阿弥陀仏と縁を持った。そしてそれから程なくして、神奈川県に引っ越した。引っ越して、有名な場所を一通り見にいった。横浜、港の見える丘公園、鶴岡八幡宮、湘南の海岸、そして鎌倉の大仏。鎌倉の大仏は高校生のときに一度見ている。あらためて見に行って、その由来などを読んで、あの大仏は阿弥陀如来であるということを初めて知った。南無阿弥陀仏の、阿弥陀仏である。そして住まいのすぐ近くには遊行寺がある。遊行寺は時宗の総本山だそうだが、時宗の信仰対象も阿弥陀仏である。熱心に信仰しているというわけではないが、非常に親しみを感じている。私にとって、南無阿弥陀仏というのは、「なんとかなるさ」あるいは「どうでもいいよ」とほとんど同じくらいの意味である。