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パチンコで大負けする理由

08/05/25(Sun) 15:05
パチンコの還元率は80%から90%と、他のギャンブルに比べて高いという。
ところで還元率とは何か?
80%であれば、1万円使ったら8000円戻ってくる、ということか?
どう考えてもそんなに高くない。

使った金から見込める回収額のことをいうのなら、期待値となるのか。
しかしそれでも、90%くらい、といっている人がいる。
まあ、仮にそうだとして、話をすすめる。

08/05/25(Sun) 15:15
1万円使えば必ず9000円戻ってくる?そんな馬鹿な!!
と怒る人が多いだろう。わたしもその一人だ。記録をつけていたわけではないが、そうだな、50~60%がいいところじゃないかと思う。つまり、10万円使ったら4,5万負けるということ。
そりゃカネがなくなるわけだ。

理論上の期待値が90%なのに、どうして実際はもっと低くなるのかを、私なりに考えてみた。これにはギャンブルをする人の心理が関係している。

90%というのは確率上の話だから、波があって、試行回数≒プレイ時間が長くなればそこに収束していく。

90%と聞くとほとんど負けないんじゃないかという気がしてくるが、逆に考えるとかならず10%負けるということである。

08/05/25(Sun) 15:28
パチンコに勝つのは運なのだ。

勝つのは、たまたま確率以上にツイた時だけ、ということになる。
プロは運じゃないというが、それは必ず勝てる台を探してそれを打てばよいということであって、仕事をしている人には無理である。そして時間があったとしても、常に勝てる台を取れるとも限らないし、店が勝てる台をなくしてしまったらそれで終わりである。

結局プロは、技術ではなくてパチンコ業界が最終的な利益を見込んだ上で、少し遊びをもたせている部分に取り入っているだけで、実質的にはサクラのようなものである。プロにはその気がなくても、店側はそうとらえているだろう。

「パチンコには必勝法がある、勝てるギャンブルだ」と客に思わせる存在、店側からしたらそれほどありがたい存在はないだろう。

プロの方には不愉快かもしれないし、実際はもっと深いテクニックがあるのかもしれないが、
とりあえず、「プロはあくまでも例外」ということにする。
だって、もし本当にプロとしての技術が存在するのであれば、その技術を身につけた人は全員勝てなければならない。しかし、当然そんなギャンブルは成立しない。

胴元が儲けようとして開催するのがギャンブルである。

08/05/25(Sun) 15:30
そしてプロは、プロでない、休日にぶらっと来てボーッっとしてアニメやドラマなどのキャラが繰り広げる小劇場を見ながらカネと時間をつぶす大勢の負け組みの存在なしには、生活の糧を得られないのである。

08/05/25(Sun) 15:35
話はプロがどうの必勝法はありやなしや、ということではない。
理論上の期待値よりも、実際は大きく負けるのはなぜか、という話である。

朝10時から打ち始めたとする。
1時間で1万円投入して、大当たりが来なかったとする。今のパチンコじゃ1時間1万じゃなきかないかもしれないが、まあ、あくまでも例としての話。

玉は1個4円で借りて、換金率は1個2.5円とする。
いまはどうだかしらないが、私がやっていた頃は、ほとんどの店がそうだった。

1万円を使ったのだから、玉は2500発打ったことになる。ほぼ大当たり1回分である。
ここで大当たりがきて、2500発出たとすると、6250円で、投資額の62.5%が帰ってきたことになる。

08/05/25(Sun) 15:38
さあ、あなたがパチンコをやったとしたら、この時点で「今日はこのへんにしとくか」と帰るだろうか?ここで帰るような人は最初からパチンコなどやらないだろう。

このケースは62.5%だから、90%とかいう期待値よりもだいぶ低いから、もっと勝てるはずだ、と考えるのはもっともである。

それでは、理論上の期待値とほぼ同じになったらどうだろうか。

08/05/25(Sun) 15:45
7000円つかって、大当たりが1回でたら、ほぼ90%となる。
さあ、今度はどうする。「理論上の数字と同じだ、帰ろう!」となるか。
90%戻ってきたとは言え、700円程度とは言え、負けているのである。

まず、帰らないだろう。まあまあだな、勝負はこれからだ、と考えるのが普通である。

08/05/25(Sun) 15:51
イーブンだったらどうか。1000円勝ったらどうか・・・。

私の経験と周囲の客の行動を観察した結果では、
1、2時間たたないうちは勝ち負けに関係なく皆続行する。

やめる基準は、手持ちのカネがなくなるか、投資額が1.5倍くらいになったとき。
イーブンではまずやめない。一番やめにくい。5万使って6万になった、これでもまずやめない。

客は理論値よりはるかに高い額を回収しないと満足しないのである。
しかし、長くやればやるほど、収支はマイナス1割に収束していく。

比率は同じだが、当たり前の話だが、金額は増えていく。
1万円つかえば1000円、10万円つかえば1万円、50万つかえば5万円負けるのである。

08/05/25(Sun) 16:01
理論値をうわまわる結果を期待しているのだから、その事態がおとずれることは少ない。
しかし、財布のカネがなくなる事態はすぐにおとずれる。

3万円つかって一回もでない、なんてことは不思議でも何でもない。
10万となると店を疑いたくなるが、それもありえなくはない。
最近のギャンブル性の高い台であれば、丸一日打って全くでないこともありうるのではないか。

そのままずっと打っていれば、今度は確率を上回る連続大当たりが来るかもしれない。
我慢、我慢だ。
しかし、カネがなくなってしまったり、閉店になってしまえばそこで終わりだ。

その日打ち続けた台をそのままの状態にして翌日も打つことはできない。

08/05/25(Sun) 16:04
私も確率については、特にパチンコをやっていた時には不思議に思った。

大当たり確率が 1/300の台なら、300回打てば1回当たる計算になる。
しかし、1000回はずれた後だろうが、大当たり直後であろうが、確率は常に一定で、
1/300である。しかし、どう考えても1000回はずれた後のほうが当たりやすく思える。

08/05/25(Sun) 16:10
これは確率分布の話になるのではないかと思う。
確率自体は普遍であるが、その分布は統計学的に推定できる。

じっさいグラフにしている人がいたが、真ん中が高い山型のグラフになっている。
その人によると、あるパチンコ台では、1000人に一人がまる一日一回も大当たりしない確率だそうである。

08/05/25(Sun) 16:39
しかしここで疑問が生じる。

1日に2500回まわして一回もあたらない確率、
つまり (外れる確率)^2500 = 0.001となるのは、
1/272である。

0.001とは、1/1000である。

だとすると、2499回大当たりが出なかった次の試行で大当たりする確立は、
その試行だけ独立に考えれば 1/272で、
2500回トータルで考えれば 1/1000ということになり、
どう考えたってヘリクツである。

08/05/25(Sun) 16:50
確率云々の件は私もわかっていないのでおいておくとして、
言いたいことは、

1.パチンコとは胴元が儲かるようになっている。
2.勝てるのは偶然でしかない
3.客は勝たないと満足しない
4.客はカネがなくなるとやめざるを得ない
5.少々買った程度では満足しない
6.負けると悔しいので取り戻そうとムキになる

という理由により、

「パチンコの客は大負けするまでやめない」

という事です。

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死を望む人の死生観

最近は死にたい気持ちがいっそう募ってきた。単なる慣用句また感動詞としての「死にたい」ではなく、本格的な「希死念慮」という奴である。

そしてまた自殺の方法を調べた。恐怖と苦痛が少なく迷惑もかけない死に方はないか・・・。

すると、2ちゃんねるの自殺未遂体験を語るスレッドが見つかった。
以前にもちょっと眺めたことはあるが、じっくり読んでみた。

多いのは薬物とリストカットと足がつく場所での首吊りだった。
失敗した原因は、同居人のいる自宅で遂行した、電話やメールで知人にほのめかすかあるいははっきり宣言して助けられた、恐怖で自殺を思いとどまった、などである。

共通しているのは、すべて自分が死ぬ覚悟ができていなかった、死ぬ恐怖に打ち勝てなかったということである。

自殺の話になるとまず言われるのは「自殺なんかしてはいけない。命は授かりものだ。」という自殺罪悪説である。それから、「自殺未遂なんて本気で死ぬつもりなどないのだ。死にたいのならとっとと死ね」という未遂に対する罵倒。そして、「何があったの?死ぬ前に誰かに相談すれば?生きてればいいことあるよ」という心配。

「自殺は素晴らしい」という人はまずいない。
だが、非常に潔く動機も生活苦などではない場合はそれが賞賛される場合もある。
乃木稀典とか、三島由紀夫とかである。

私はこの2人の自殺にも興味を持っていろいろと調べてみたが、あまり手放しでは賞賛できないような事実をいくつか知った。そして、2人の死について否定的な考えを表明している有名人も大勢いることを知った。



調べれば調べるほど、自殺というのは限りなく困難なもので、ほとんど不可能に近いと思えてくる。
ロープを用意し、山の中まで行って首を入れるところまでいってもやめてしまう人がいる。
薬の大量服用については、本人の意志に関係なく吐いてしまい、まず成功することがない。

未遂に終わった場合、「二度と自殺なんかしない」という人が多いが、中には「今度こそ」と考える人もいる。実際、自殺に成功した人は何度か未遂を繰り返した人が多いそうである。



私は自殺を試み未遂に終わる人たちがすべて本気で死のうとしていないとは思わない。
彼らは本当に絶望していて、生きることは苦痛以外の何物でもなく、死ぬしかないと思っている。
しかし、いざ死のうとすると苦痛と恐怖で思いとどまってしまう。

思いとどまるときに、たと…

グリーン車で横の席に荷物を置く人

私は常磐線で通勤しているのだが、最近朝がつらくて、
グリーン車に乗ることが多い。

私が乗る駅では、グリーン車は窓際はまず埋まっている。

窓際に人がいる隣の通路側の席に座る。


だが、そこにカバンを置いている人が非常に多い。

私はそれがとても頭にくる。というか、その神経が理解できない。


なぜそんなことができるのだろうか?

私は休日にもグリーン車に乗ることがあるが、

ガラガラでもとなりの席に荷物など置いたことはない。

なぜなら、グリーン車は有料だからだ。


距離によるが、550円とか770円とか、ランチが食べられるくらいの料金だ。


まあ、ガラガラであれば、カバンを置いても、私はしないが、まあ許せる。

でも、通勤ラッシュ時で、上野につくころにはほぼ満席になる常磐線のグリーン車で、

隣の席に荷物を置くのは許せない。

その荷物をつかんで放り投げたくなる気持ちを懸命に抑える。


時々、そういう人にむかって、「すいません」と言って席を空けてもらって座る人がいる。

謝るのは荷物を置いている方だろ!


そういうときに、荷物を置いている人が謝るのを見たことがない。

私は、絶対に謝らない。そこまでして座りたくない。


が、そういう人がいると、顔をじっと見る。

そうすると、だいたいどける。



最近わかってきたのだが、この行動は無神経であるとか気が利かないというのではなく、

隣に人を座らせたくないので故意にやっているようだ。


なんという、利己的な行為だろう。私はそういう行為が本当に嫌いだ。


私も、なるべく隣に人がいない席を選ぶ。隣に人が来て欲しくないという気持ちはわかる。

でも、だからって荷物を置いて座らせないようにするなんてことは絶対にできない。

そんなことまでしたくない。


昨日は、隣の席に荷物を置いて寝ている人に、「すいません」と声をかけている人がいたのだが、

寝ている人は2、3度声をかけられても起きなかった。

多分、気づいているのに起きなかったのだろう。



私は振り返って、その人がどんな顔をしているか見た。

年齢は私よりやや上、50歳前後だ。

上着を着ずにワイシャツとスラックスの、ごく普通のサラリーマン風の男性である。


特にバカそうでもズルそうでもダメ人間でもだらしない感じでもない。

でも、そういうごく普通の人間が、このような利己的な行為をするものなのである。

これは静かなる暴力と言ってもいい。


キンタマを掴まれる

この話はツイッターで言いたかったのだが、どうしても「キンタマ」と書く勇気が出なかったのでこっちに書く。

私は猥談が嫌いだ。
猥談なんかしていたのは高校生まで。
わけあって私は一切猥談をしなくなった。
飲み会でもしない。飲み会でそういう話題になると貝になる。

そして、「キンタマを掴まれる」という言葉には性的な意味はない。
それは常識かもしれないがやっぱりキンタマなどという言葉を口にすることははばかられる。
わたしも「キンタマ」などという言葉を思い出したのは久しぶりで、懐かしささえ感じた。

なんで思い出したかというと、夢の中でキンタマを掴まれたからだ。
その夢では、わたしは背後にぴったりと誰かが張り付いているのを感じていた。
それは見えないし、ぴったりではあるがそっとなので気のせいかなと思うくらいだ。
だが、間違いなく張り付いていると確信した。だが、それを自分で払いのけることはなぜかできない。

そこで、近くにいた知り合いと思われる人に、「ちょっとこれはがしてくれない?」と頼んだ。

それを頼んだときに掴まれたのか、その前から掴まれていたのかわからないが、
その背後にはりついていた何者かがわたしのキンタマを掴んでいた。
とても痛かった。その痛みは鋭いものではなく、鈍く、重いものだった。

そして結局背後にいるものがはがされないまま、目が覚めた。
その目が覚める瞬間に、キンタマの痛みもすーっと消えていった。
そして、わたしは「あ、これは自分が作り出している幻覚にすぎないな」ということがわかった。