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2013年1月22日火曜日

communication breakdown

先日会社の研修で目的と目標の違いは何かという話になった。私は自分なりの考えを述べたがそれは講師の教える内容とは違っていた。その時に感じたことであるが、言葉の意味というのはそれが使われる状況によって変わる。それを「文脈」と言ってもよいだろう。極端にいうと、言葉の「正しい意味」というものは存在しない。言葉の意味は時代によって変わる。「おかし」とか「あはれ」などのように。文法もしかり。言葉というものは誰かが文法や意味を定めてその規則をみんなで守りつつ使用するようなものではない。逆で、文法や辞書というのは言葉の使われ方を調べてまとめて作られるものである。それが言葉というものである。

ところが、そのような言葉を使っている人々のほうが、それを理解していない。自分が使っている言葉には厳密な文法があり、辞書に記されているような意味があり、それを使って意志伝達や表現活動をおこなうのだと考えている人がいる。ごく狭い期間、ごく狭い地域で考えればそうかもしれない。言葉はブロックを積み上げるようなものに見えなくもない。だがそうではない。

そのような言葉に対する考えの違いは、どうでもいいことのようだが非常に重要で、コミュニケーションが成立しないとか、議論が平行線をたどって感情的になるとかいうのは、この間違った「言葉観」が産むのである。

言葉に絶対はないのだ。言葉に絶対があると思っている人は、自分が使っている言葉の定義が頭の中に入っていて、それが相手の頭の中にもあると思っている。たとえその定義が最新の広辞苑に載っていようと、どこかの有名な学者の定義であろうと、それがある文脈で通じるものでしかないことに変わりはない。その定義を軸に議論なりコミュニケーションを行おうとする人がいると、会議や会話は発展しない。