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2013年4月21日日曜日

地震より恐ろしいもの

地震が増えてきた。

2011年3月11日以後は福島付近を中心に地震が多かったが、最近は千島列島とか、瀬戸内海とか、さっきは鳥島とか、日本中どこでもM6を超えるような地震が起きている。

東海地震が最も警戒されている雰囲気だったが、もう今では日本のどこで大地震が起きても不思議ではない感じだ。

しかし、私は地震そのものについてはそれほど恐怖がなくなった。

2011年の大地震ではM9、震度7を記録した。

それほどの大地震が起きても、高層ビルやマンションがポッキリ折れたとか、高速道路を走っていた車が下に落下したとか、地下街の天井が落ちて人々が生き埋めになったとか閉じ込められたとか、地割れが起きてそこに大勢の人が飲み込まれたとか、昔「大震災」で起こると想像していた現象はほとんど起こらない。

怖いのは、地震の後の津波、火事、そして原発などの事故である。これらについては、私は過小評価していた。津波は警報が出てもいつも数十センチから1mくらいだったが、あの時は最大30mほどの波が押し寄せたところもあったという。

原発の事故については、全く考えていなかったといってよい。地震そのもので原子炉が破壊されるのならまだ想像できるが、津波によって発電するための電力が断たれてそれによって原子炉が冷却できなくなる、なんてことになるとは、全く想像できなかった。


私は高いところが苦手で、ビルの2、30階にいると『今大地震が起きたらビルがぽっきり折れて俺は外へ投げ出されてしまうのではないか』などと想像してゾっとしたりするが、多分日本にあるどの高層建築であっても、震度7くらいまでは持ちこたえるだろう。


ということを考えてというわけでもないが、私は地震に対する備えを全くしていない。非常食とか飲料水とかも用意していない。それどころから私はこのまま無事に長生きした方が困るような生活をしている。こんなことをいったら不謹慎と怒られるだろうが、むしろ日本が壊滅することをどこかで望んでいるようなところがある。


私から見ると、人々はあまりに周到というか、用心深いというか、「将来」というものに対する備えが過剰に見える。貯金したり、生命保険やら火災保険やらに加入したり、病気にそなえて何度も検診を受けたり、ちょっと体調が悪ければすぐに病院へ行ったり・・・。


地震が来るかどうかはわからないし、いつ来るかもわからないが、私たちは確実に100歳くらいまでに死ぬ。半分くらいの人がガンになる。まったく医者にかからず薬も飲まずに70、80歳まで生きられるほうがまれである。


私は、平和や安定の方が怖い。これからあと数十年、なにごともなく人生が平板にすぎていくと思うとゾッとする。

それなのに、人々は万が一のことを心配して、何かあったときのために、と、日常を犠牲にして将来のために生きている。私にはそれが不思議でならない。


そして、それがその人自身の生き方に限られているならよいが、そういう生き方が周囲や、国家とか、大きなくくりで集団でおこなわれていくようになると、もはやその人の生き方だとか主義だとかいうものではなくなってくる。


あなたが死にたくないと思うのは勝手だ。100歳でも200歳までも生きていこうと思うのも勝手だ。だが、あなたが生きて行くためには大勢の人の世話になり、大勢の人に迷惑を掛けなければならない。

災害が来なくても、普通に会社勤めをして暮らしているだけでも、黙って電車に乗って座っているだけでも、隣の人に『この野郎殺してやりたい』と思われることも全然珍しくないのだ。


私は、大災害で犠牲になった人、人生が終わってしまった人をかわいそうだと思うし、死ぬ時は苦しかっただろうとも思うが、何の災害が起きなくても、衣食住に何の不足もなくても、人は悩み苦しむものだということも否定できない。

「生きてるだけでマシじゃないか、何を贅沢を言うんだ。死んだ人や遺族の身になってみろ」と言われるかもしれないが、人の命はそんな単純な、生きてさえいればいいというものではない。


人が死ぬということは悲しいことであると同時に、不思議で、とらえどころのないものでもある。われわれは人が死ぬとその後どうなるかを知らない。わかっているのは死んだ者と生きる者が別れるということだけで、死そのもの、生そのものがどういうものなのか、どんな価値があるのか、価値がないのかもわからない。


「生きてさえいればいい」という考えだけは、私は絶対に陥りたくない。