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2013年4月5日金曜日

命の値段

引き続き「白熱教室」を見る。

次の講義は徴兵制、代理母、精子バンクなどの現実的な、しかしあまり楽しくはない話題だ。

私もあまり内容を把握していないが、ここで、講義でも何度か出てきた「命の値段」について語ってみたい。

私は人の命の値段はそんなに高くないと思っている。

命に値段などつけられないというのは当然だが、あえて値段をつけるなら、という話である。


故意や過失で人を傷つけたり命を奪ったときに、裁判所が賠償命令をだすことがある。

私が覚えているのは、中学校のサッカー部で練習中に落雷にあった生徒がいて、それは事前に予期できたことだとして学校側に賠償命令が出たという事例である。

今調べてみたら、リハビリ費用などで約3億円の賠償が命じられたとのことであった。

落雷で重度の障害を負っているが命までは失っていない人で3億円である。

もし亡くなっていたら、いくらになるのだろうか。


10億、100億、1兆でも足りないという人もいるだろう。なにしろ「かけがえのない命」だから。

私は何でもカネで解決するのは大嫌いで、そういう点に関しての潔癖さは人一倍だと自負しているが、もし私が人の命に値段をつけるとしたら、高くて100万。10万円くらいでもいいかなと思っている。


多分、これは非常に低いだろう。「それはできないけどもしあえて値段をつけるなら」という前提でアンケートをとったら、多分億はくだらないだろうと思う。

でも、私はあえて100万円と言う。それは、人間の価値と言うのは命そのものにあるのではないからだ。人間の価値は生きているだけではゼロに近く、生きて何をするかで決まる。


一人の人間が生きて1年働けば、数百万円は稼ぐ。そして人は100年まではいかなくても数十年生きる。それを考えたら、500万かける20年として1億円。どう考えても100万は安すぎる、というのが普通の考えだろう。


でも、私は命そのものの価値は100万でも高すぎると思うくらいだ。人間の生きる価値はそんな単純なものではない。