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2013年4月5日金曜日

カント

続いて、カント。

講義はまだ途中で、サンデル氏についても伝聞でしか知らないのだが、おそらく彼がもっとも尊敬しているというか影響を受けているのはカントであろう。

ヘーゲルではない。そこがサンデル氏がただの哲学者ではなく、「コミュニタリアン」であるゆえんである。

ソクラテスについては、最初の方で名前が出てきたが、深くは語られなかった。

私にとっては、カントはソクラテスの生まれ変わりのような存在である。

カントはソクラテスが主張したことを(当時に)現代的に言い直しただけと言ってもよいと思っている。

だが、カントというといつも難解だというイメージがついて回る。今回私が見たビデオでも、終わった後に日本人の大学教授が難解であるとコメントしている。

私はカントを難解だとは思わない。ヘーゲルとか、特に現代思想とよばれるような人々の方が難解である。

カントが難解だと思われるのは、彼が語っていることがその他大勢の哲学者達と全く方向性の異なることであるからにすぎない。

「ソクラテスが難解だ」というのは聞いたことがない。だったら、カントも難解ではないはずだ。


カントの言っていることは、わたしの両親、教師、その他大勢の年長者や先輩が教えてくれた人としての当然守るべきこと歩むべき道とほとんど変わらない、というのが私の理解である。



さて、この講義で「理性」という言葉が繰り返されるが、それは英語で reason である。日本語の「理由」と同じである。

日本語で「理性」というと小難しいが、それが「理由」と同じであると、それがどういうものなのかが身近に感じられるだろう。


あと、私はサンデル氏が紹介した、ある少年がスペルコンテストでスペルを間違ったのに審査員がそれを見逃して優勝した際に、正直に自分のミスを告白したという話で涙が出た。

カントやサンデル氏が言いたいのはそういうことである。

小難しい理屈ではない。哲学とは屁理屈ではない。